1704年

ギョーム・ド・ロピタル

(1661 - 1704)

数学者

数学者
フランスの貴族出身の数学者。微分法に関する著作で知られる。
1661年にパリで生まれる。 平時は貴族院議員を務める傍ら数学を研究。 1696年に出版された『解析の初歩(Analyse des infiniment petits)』で微分法の理論を体系化。 ベルヌーイから教えを受け、ロピタルの定理として知られる結果を紹介。 教育界や学界で高く評価され、アカデミー・フランセーズ会員に選出。 1704年に没し、後世の解析学発展に寄与した。
1704年 ギョーム・ド・ロピタル 数学者 1661年
1812年

イサーク・ティチング

(1745 - 1812)

オランダのカピタン

オランダのカピタン
オランダ東インド会社の商館長・学者。日本文化を欧州に紹介した。
1745年にオランダで生まれる。 東インド会社の商船隊士官として来日し、長崎出島で商館長を務める。 日本の風俗・政治・文化を詳細に記録し、後に欧州で著述。 『日本誌(Annales des empereurs du Japon)』などの著作を残す。 東西文化交流において先駆的な役割を果たした。 1812年に没し、ジャポニスムの先駆者として評価される。
1812年 イサーク・ティチング オランダ カピタン 1745年
1896年

川田甕江

(1830 - 1896)

漢学者

漢学者
日本の漢学者。儒教経典や漢詩の注釈研究に専念し、多くの門人を育てた。
川田甕江(かわた・もうこう、1830年 - 1896年)は日本の漢学者。 儒教経典や漢詩の研究・注釈に従事し、多くの著作を残しました。 明治時代の教育改革期には漢学教育の普及に努め、後進の育成に寄与。 門人には著名な漢学者を輩出し、その学風は広く受け継がれました。 日本における漢学研究の発展に大きく貢献しました。
1896年 川田甕江 漢学者 1830年
1907年

ドミトリ・メンデレーエフ

(1834 - 1907)

化学者

化学者
ロシアの化学者。周期律を提唱し、周期表を体系化した。
ドミトリ・メンデレーエフ(1834年 - 1907年)はロシアの化学者で、元素の性質が原子量に関連して周期的に変化する周期律を発見しました。 1869年に最初の周期表を発表し、未知の元素の存在と性質を予測して化学界に革命をもたらしました。 サンクトペテルブルク大学で教鞭を執り、教育者としても多くの後進を育成。 化学工業の発展にも寄与し、石油分解や石鹸製造など実用化研究を推進しました。 現在でも彼の周期表は化学教育の基礎として広く用いられています。
1907年 ドミトリ・メンデレーエフ 化学者 1834年
1925年

アンティ・アールネ

(1867 - 1925)

民俗学者

民俗学者
フィンランドの民俗学者。民話の分類法を提唱し、比較研究に道を開いた。
アンティ・アールネ(Antti Aarne、1867年 - 1925年)はフィンランドの民俗学者で、民間伝承の体系的研究を進めました。 彼は『民話類型目録(Aarne’s tale type index)』を発表し、世界中の民話を類型別に整理する手法を確立。 この分類法は後にAarne–Thompson分類として発展し、比較民俗学研究の基礎となりました。 ヘルシンキ大学で教鞭を執り、多くの研究者を育成。 民話研究の国際標準を築き、民俗学の発展に大きく寄与しました。
1925年 アンティ・アールネ 民俗学者 1867年
1939年

ウラジーミル・シューホフ

(1853 - 1939)

建築家、技術者

建築家 技術者
ロシアの建築家・技術者。ハイパーボロイド構造の設計で知られる。
ウラジーミル・シューホフ(1853年 - 1939年)はロシアの建築家・技術者です。 軽量で強度に優れたハイパーボロイド構造の塔やクーポラを設計し、その革新的な工法は世界的に評価されました。 石油パイプラインや貯水タンクの設計にも携わり、工業技術の発展に寄与。 競技場や展覧会用建築物など、機能性と美を融合させた作品を数多く手掛けました。 彼の設計思想は現代の建築・土木分野にも大きな影響を与え続けています。
1939年 ウラジーミル・シューホフ 建築家 技術者 1853年
1941年

デリール・スチュワート

(1870 - 1941)

天文学者

天文学者
アメリカの天文学者。南天の星雲観測と天体写真撮影で知られる。
デリール・スチュワート(DeLisle Stewart、1870年 - 1941年)はアメリカの天文学者です。 ハーバード大学付属天文台やボイデン観測所で南半球の星雲や星団を詳細に撮影。 高感度写真板を用いた天体写真法を改良し、多数の星雲や銀河を記録しました。 いくつかの小惑星や彗星の発見にも貢献。 その精緻な観測データは後の天文学研究における貴重な資料となっています。
1941年 デリール・スチュワート 天文学者 1870年
1950年

コンスタンティン・カラテオドリ

(1873 - 1950)

数学者

数学者
ギリシャ出身の数学者。実解析や複素解析、変分法の分野で重要な業績を残した人物。
1873年に生まれ、ドイツの大学で学んだ後、ミュンヘン大学教授などを歴任。 実解析、複素解析、測度論、変分法など幅広い分野で基礎理論の発展に寄与。 「カラテオドリの定理」などの命名定理を含む多くの業績を残した。 数学教育にも熱心で、著書や講義を通して後進を育成した。 1950年2月2日にその生涯を閉じた。
1950年 コンスタンティン・カラテオドリ 1873年
1960年

斎藤三郎

(1895 - 1960)

野球史と石川啄木の研究者

野球史と石川啄木の研究者
野球史と文学研究を行った日本の研究者。石川啄木研究でも著名。
1895年に生まれ、戦前より日本の野球史研究を開始。 近代野球の歴史を体系的にまとめ、多数の論文や著作を出版。 また文学者・石川啄木の研究でも知られ、その文芸評論は高く評価された。 学会での発表や講演を通じて学術普及に努めた。 1960年2月2日に逝去。
1960年 斎藤三郎 野球史 石川啄木 1895年
1970年

バートランド・ラッセル

(1872 - 1970)

数学者、哲学者

数学者 哲学者
英国の哲学者・数学者。分析哲学の礎を築いた知の巨人。
1872年に英国の貴族家庭に生まれる。 プリンストン大学やロンドン大学で教鞭を執り、数理論理学の発展に貢献。 代表作『数学原理』『西洋哲学史』などで学界に大きな影響を与える。 平和主義運動にも積極的に参加し、1950年にノーベル文学賞を受賞。 合理主義と人道主義を掲げ、社会思想にも多大な足跡を残した。 1970年2月2日に逝去。
1970年 バートランド・ラッセル 哲学者 1872年
1972年

高田保馬

(1883 - 1972)

経済学者、社会学者

経済学者 社会学者
日本の経済学者・社会学者。学際的な研究で知られ、日本の学界に多大な影響を与えた。
1883年に生まれ、東京帝国大学で経済学を学ぶ。 学位取得後は社会調査と経済分析を融合させた研究を展開し、農村経済や労働問題に関する論文を多数発表。 戦前から戦後にかけて大学教授として後進の育成に尽力し、日本の社会経済学の基礎を築いた。 多数の著作を残し、1972年2月2日に死去した。
1972年 高田保馬 経済学者 社会学者 1883年
1980年

ウィリアム・スタイン

(1911 - 1980)

生化学者

生化学者
アメリカの生化学者。リボヌクレアーゼの構造解明で1972年にノーベル化学賞を受賞。
1911年にアメリカで生まれ、プリンストン大学で化学を学ぶ。 ロックフェラー研究所にてタンパク質化学の研究に従事。 リボヌクレアーゼのアミノ酸配列と立体構造を解明し、1972年にノーベル化学賞を受賞。 その成果は生化学や分子生物学の発展に大きく貢献した。 1980年2月2日に死去。
ウィリアム・スタイン 生化学者 1911年