1862年

アルヴァン・グラハム・クラークがシリウスの伴星シリウスBを発見。2番目に観測された白色矮星。

天文学者アルヴァン・グラハム・クラークがシリウスBを発見した日。
アメリカの天文学者アルヴァン・グラハム・クラークは1862年1月31日に、シリウスAの強大な光を遮りながら観測することでシリウスBを確認した。 この伴星は史上2番目に観測された白色矮星であり、恒星進化理論の重要な実証例となった。 発見は望遠鏡技術の進歩と観測手法の工夫によるもので、後の惑星系物理学や恒星物理学の発展に寄与した。 シリウスBの質量や軌道測定は重力理論の検証にも用いられた。 現在も最も明るい恒星シリウス系の研究対象として多くの観測が続けられている。
1862年 アルヴァン・グラハム・クラーク シリウス 白色矮星
1950年

ハリー・S・トルーマン米大統領が水素爆弾の開発計画を発表。

アメリカ大統領トルーマンが水素爆弾の開発を正式に発表した出来事です。
1950年1月31日、ハリー・S・トルーマン米大統領はホワイトハウスで水素爆弾開発計画を正式に発表しました。 冷戦期における核抑止力強化の一環として、従来の原子爆弾を超える破壊力を持つ新兵器の研究が国家戦略の中心に据えられました。 トルーマン政権はソ連の核実験を受け、アメリカの軍事的優位を確保するため本開発を推進。 この声明は米ソ間の核軍拡競争を一層激化させた分岐点となりました。 1952年の初期実験成功以降、水素爆弾は核兵器の技術的到達点として国際社会に大きな衝撃を与えました。
1950年 ハリー・S・トルーマン 水素爆弾
1958年

アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」が打ち上げ。

アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号が打ち上げられました。
1958年1月31日、アメリカは民間宇宙機関であるJPLのエクスプローラー1号を打ち上げ、初の人工衛星を成功させました。 この成功は米国にとってソ連に続く宇宙開発の大きな一歩となり、NASA創設の契機にもなりました。 エクスプローラー1号にはジェームズ・ヴァン・アレンが設計した放射線検出器が搭載されていました。 打ち上げ成功は米ソ宇宙競争(スペースレース)をさらに加速させる要因となりました。 この衛星は地球周回軌道で約2ヶ月間運用され、科学データを地上に送り続けました。
1958年 アメリカ 人工衛星 エクスプローラー1号
1958年

ジェームズ・ヴァン・アレンがヴァン・アレン帯を発見。

ジェームズ・ヴァン・アレンが放射線帯を発見した画期的な成果です。
1958年1月31日、物理学者ジェームズ・ヴァン・アレンはエクスプローラー1号と同2号のデータから地球を取り巻く放射線帯を発見しました。 このヴァン・アレン帯は高エネルギー粒子が集積する領域で、人工衛星や有人宇宙飛行における重要課題となりました。 発見は宇宙物理学に新たな研究分野を切り開き、宇宙探査技術の進歩を後押し。 ヴァン・アレンの功績はノーベル賞級とも評され、後の宇宙ミッション設計に大きな影響を与えました。 現在も地球周回軌道上の放射線環境評価において欠かせない概念です。
ジェームズ・ヴァン・アレン ヴァン・アレン帯
1961年

マーキュリー計画: チンパンジー「ハム」が搭乗したアメリカの宇宙船「マーキュリー・レッドストーン2号」を打ち上げ。

チンパンジー「ハム」を乗せたマーキュリー宇宙船が打ち上げられました。
1961年1月31日、アメリカのマーキュリー計画でチンパンジーのハムを搭乗させた「マーキュリー・レッドストーン2号」が打ち上げられました。 ハムは宇宙飛行環境での動物生存実験を成功させ、生命維持装置や再突入技術の信頼性を実証。 飛行は約16分間でアトランティックに無事着水し、ハムは健康状態良好で回収されました。 この成功は人間有人宇宙飛行への大きな前進となり、1961年5月のガガーリン飛行へとつながりました。 マーキュリー計画は米国の有人宇宙開発史における出発点として語り継がれています。
1961年 マーキュリー計画 ハム マーキュリー・レッドストーン2号
1966年

ルナ計画: ソ連の無人月探査機「ルナ9号」が打ち上げ。

ソ連の月探査機ルナ9号が打ち上げられました。
1966年1月31日、ソ連は無人月探査機ルナ9号を打ち上げ、月面軟着陸に挑みました。 ルナ9号は月周回軌道を経て2月3日に初の軟着陸に成功し、地球に画像データを送信。 これにより人類は初めて月面からの映像を受信し、月探査技術の新時代が幕を開けました。 探査機にはパノラマカメラが搭載され、岩石や地形の詳細な観測が行われました。 ルナ計画の成功は米ソ宇宙競争におけるソ連の技術力を示す重要な成果となりました。
1966年 ルナ計画 ルナ9号
1971年

3番目の有人月宇宙船「アポロ14号」が打ち上げ。

1971年1月31日、アポロ計画の3番目の有人月宇宙船『アポロ14号』がケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
アポロ14号は船長アラン・シェパード、司令船操縦士スチュアート・ルーサー、月着陸船操縦士エドガー・ミッチェルの3名で構成されました。ミッションは月面着陸と科学調査が目的で、月面での岩石採取や重力実験などが実施されました。シェパード船長は月面でゴルフを試みる余裕を見せるなど人間味あふれるエピソードも残しました。問題も発生しましたが、全乗組員は無事地球に帰還し、アメリカの宇宙開発技術の優位を改めて示しました。
1971年 アポロ14号
1976年

鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生。

1976年1月31日、鹿児島市立病院で日本初となる五つ子が誕生した。
この五つ子は母子とも健康に出産され、日本国内での多胎児医療における一つの大きな節目となりました。当時は人工授精や体外受精が一般的でなく、自然妊娠による五つ子誕生は極めて稀な出来事でした。医療スタッフは専門の新生児ケアチームを編成し、24時間体制でサポートを行いました。誕生直後は体重が小さいため集中治療室でケアが必要でしたが、順調に成長し、ニュースとして全国的に大きな話題を呼びました。
1976年 鹿児島市立病院 五つ子
1996年

海上保安庁が、この日の運用を最後に電信・モールス符号による通信を廃止。

海上保安庁が電信およびモールス符号による通信運用を終了しました。
1996年1月31日をもって、海上保安庁の無線通信から電信・モールス符号方式が廃止された。 それまで遭難信号や船舶間通信で長年活用されてきた伝統技術が姿を消した。 廃止の背景には衛星通信やデジタル無線の普及による技術革新がある。 新技術導入により通信速度や信頼性が飛躍的に向上した。 利用者には新方式への移行教育や機器更新が求められた。 これにより海上通信の近代化が一層進展した。
1996年 海上保安庁 電信 モールス符号
2014年

東北地方太平洋沖地震を原因とする福島第一原子力発電所事故に伴い全発電設備が停止されていた福島第一原子力発電所が、この日限りで廃止。

東日本大震災の影響で停止していた福島第一原発の全発電設備が正式に廃止された。
2011年3月の東北地方太平洋沖地震による事故で全発電設備が停止していた福島第一原子力発電所が、2014年1月31日に正式に廃止された。 6基の原子炉はいずれも稼働前または稼働後に事故の影響で停止していた。 廃止決定は発電設備としての復旧を断念したもので、解体や廃炉作業が本格化した。 廃炉作業には数十年を要すると見込まれ、福島第一原発事故の後処理の象徴的な節目となった。 この決定は日本のエネルギー政策や原子力安全対策の見直し議論にも影響を与えた。
2014年 東北地方太平洋沖地震 福島第一原子力発電所事故 福島第一原子力発電所