67年

ペトロ

イエス・キリストの使徒たちのリーダー

イエス・キリストの使徒たちのリーダー
イエス・キリストの最も信頼された12使徒の一人であり、初代ローマ教皇とされるキリスト教の礎を築いた人物です。
ペトロはかつて漁師として生計を立てていましたが、イエス・キリストに招かれて弟子となり、キリスト教の伝播に尽力しました。初代教皇とされ、ローマを拠点に教会組織の形成と指導に努め、多くの信者を獲得しました。後にローマで殉教し、逆さ十字架にかけられたと伝えられています。今日でも聖ペトロ大聖堂に彼の遺骨が眠ると信じられ、キリスト教徒の信仰の象徴となっています。
67年 ペトロ イエス・キリスト 使徒
明応2年1月12日

二条持通

(1493 - 1493)

公卿

公卿
室町時代後期の公卿で、朝廷の政務に携わった貴族です。
二条持通は公家の名門二条家に生まれ、内裏の儀式や政務を司る公卿として朝廷に仕えました。明応の政変など内乱の影響を受けつつも、朝廷の安定化に努めた人物として知られています。文化面では貴族社会の雅やかな儀礼を維持し、和歌や書道などの伝統芸能を庇護しました。没年齢ははっきりしないものの、1493年に死去した記録が残ります。
1493年 明応 1月12日 二条持通 公卿 1493年
享禄元年12月20日

大内義興

(1477 - 1529)

周防国の戦国大名

周防国の戦国大名
戦国時代に周防国を治めた大内氏の当主で、文化と外交に優れた大名でした。
大内義興は1477年に生まれ、大内氏の当主として周防国の統治を担いました。在任中は朝鮮との交易を活発化させ、陶磁器などの文化交流を推進しました。国内では内紛や守護大名との抗争に対処しつつ、大内氏の勢力を維持・拡大しました。外交手腕と文化的支援で知られ、山口を拠点とする文化サロンは後の大内文化と呼ばれるほど繁栄しました。
1529年 享禄 12月20日 大内義興 周防国 戦国大名 1477年
天正13年12月10日

羽柴秀勝

(1568 - 1586)

戦国武将

戦国武将
豊臣秀吉に仕えた一族の武将で、各地の合戦に参加した戦国武士です。
羽柴秀勝は1568年に生まれ、豊臣秀吉の一門として織田信長・秀吉の下で軍功を重ねました。九州征伐などの主要な戦役に参戦し、家臣団の一員として重責を担いました。天正期の戦乱のただ中で活躍し、忠誠心と統率力で知られました。1586年に夭逝しましたが、その若き武勇は後世に語り継がれています。
1586年 天正 12月10日 羽柴秀勝 戦国武将 1568年
1730年

ピョートル2世

(1715 - 1730)

ロシア帝国ツァーリ

ロシア帝国ツァーリ
ロシア帝国の若き皇帝で、ピョートル大帝の孫にあたります。
ピョートル2世は1715年に生まれ、1727年にわずか11歳でロシア皇帝に即位しました。おじにあたる帝位継承争いを制しての即位でしたが、在位中は摂政勢力に実権を握られ、自身の治世を確立できませんでした。学問や文化には関心を示し、一部の改革を支持したものの、1730年に急逝して王朝の世代交代を早める結果となりました。
1730年 ピョートル2世 ロシア帝国 ツァーリ 1715年
1820年

ジョージ3世

(1738 - 1820)

イギリス王

イギリス王
18世紀後半から19世紀初頭にかけて在位したイギリス王です。
ジョージ3世は1738年生まれで、1760年にイギリス王に即位しました。在位中にはアメリカ独立戦争やフランス革命戦争など大きな国際紛争を経験し、植民地政策の見直しを迫られました。長期にわたる在位で農業改革や科学奨励を支援し、英国文化の発展にも寄与しましたが、晩年は精神疾患に苦しみ、摂政政治へ繋がるきっかけとなりました。
1820年 ジョージ3世 イギリス王 1738年
1829年

ティモシー・ピカリング

(1745 - 1829)

第3代アメリカ合衆国国務長官

第3代アメリカ合衆国国務長官
アメリカ独立戦争期から建国初期に活躍した外交官・政治家です。
ティモシー・ピカリングは1745年に生まれ、独立戦争では大陸軍の将校として従軍しました。戦後は郵政庁長官や陸軍長官を歴任し、1795年から1800年まで第3代国務長官を務めました。在任中はピカリング書簡に始まる外交交渉を推進し、ヨーロッパ列強との関係調整に尽力しました。晩年は上院議員として連邦政府の発展に寄与しました。
1829年 ティモシー・ピカリング アメリカ合衆国国務長官 1745年
1829年

ポール・バラス

(1755 - 1829)

フランス革命期の政治家

フランス革命期の政治家
フランス革命後の総裁政府で実権を握った政治家です。
ポール・バラスは1755年に生まれ、革命期にはジャコバン派から離反し、ロベスピエール排除に関与しました。1795年の憲法制定後は総裁政府の一員となり、外交と内政の指導的役割を果たしました。彼の指導下でナポレオン・ボナパルトが台頭し、総裁政府は権威を失っていきました。ナポレオンの台頭後は政治の前線から退き、私生活を送るようになりました。
ポール・バラス フランス革命 1755年
弘化3年12月13日

箕作省吾

(1821 - 1847)

地理学者

地理学者
日本における近代地理学の先駆者で、西洋地理学を紹介した学者です。
箕作省吾は1821年に生まれ、幕末から明治期にかけて地理学の研究と教育に努めました。長崎や横浜で洋書を入手し、地理学の最新知見を紹介して翻訳・解説を行いました。皇学者や外国人技師との交流を通じて測量技術や地図製作法を習得し、日本の地理学教育の基盤を築きました。1847年に急逝するまで、多くの門下生を育成しました。
1847年 弘化 12月13日 箕作省吾 地理学者 1821年
慶応4年1月5日

井上源三郎

(1829 - 1868)

新選組六番隊長

新選組六番隊長
幕末の京都で活動した新選組六番隊の隊長で、剣術に優れた武士です。
井上源三郎は1829年に生まれ、天然理心流の剣術を極めて新選組に加入しました。六番隊長として沖田総司や近藤勇と共に幕府側の治安維持にあたりました。戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いに参戦し、戦死したと伝えられます。若くして散ったその武勇と忠誠心は、新選組における重要なエピソードとして語り継がれています。
1868年 慶応 1月5日 井上源三郎 新選組 1829年
1870年

レオポルド2世

(1797 - 1870)

トスカーナ大公

トスカーナ大公
トスカーナ大公として19世紀中期のイタリアを統治したハプスブルク家出身の君主。
1797年に生まれ、1824年にトスカーナ大公に即位した。中道的な改革を推進し、教育や公共事業を支援した。1848年の革命で一時退位したが復位し、領土の安定を図った。1859年に退位し、イタリア統一運動の波に飲まれる。1870年に没し、ハプスブルク家最後のトスカーナ大公として歴史に名を残す。
1870年 レオポルド2世 トスカーナ大公 1797年
1883年

本多忠民

(1817 - 1883)

江戸幕府老中、岡崎藩主

江戸幕府老中 岡崎藩主
江戸幕府の老中として幕政を担い、岡崎藩主も務めた最後の大名の一人。
1817年に生まれ、江戸幕府の重臣である老中に任じられた。幕末の動乱期に藩政改革や外交交渉に関与し、幕府の維持に尽力した。岡崎藩主として領内の財政再建や治安維持にも取り組んだ。明治維新後は新政府に翻意せず、1883年に没した。江戸時代末期の幕政と藩政改革を象徴する人物として知られる。
1883年 本多忠民 江戸幕府 老中 岡崎藩主 1817年