1621年

パウルス5世

(1552 - 1621)

第233代ローマ教皇

第233代ローマ教皇
17世紀初頭に教皇位にあり、サン・ピエトロ大聖堂の建設を推進したローマ教皇。
1552年にヴェネト地方のヴィチェンツァで貴族の家に生まれ、ローマ教皇となる前はバチカンで外交や教義の調停に携わった。1605年に教皇パウルス5世として即位し、教会改革を推進するとともに教会権威の強化を図った。サン・ピエトロ大聖堂やローマ水道の再建を進め、都市の美化と教会施設の整備に尽力した。ベネディクトゥス13世らとの論争やベニス共和国との対立で教皇権を主張し、複数の著作を通じて教義を擁護した。ガリレオ・ガリレイに対する審問で厳しい態度を示し、近代科学との摩擦も生じた。1621年1月28日に没し、その死後も建築遺産や教皇権強化の業績が評価され続けた。
1621年 パウルス5世 ローマ教皇 1552年
1688年

フェルディナント・フェルビースト

(1623 - 1688)

康熙帝に仕えたイエズス会宣教師

康熙帝に仕えたイエズス会宣教師
清朝・康熙帝に仕えたイエズス会の宣教師で天文学者。
フェルディナント・フェルビーストは1623年にフランドル地方で生まれたイエズス会士で、中国に渡り宣教師として活動した。康熙帝の信任を得て宮廷天文学者となり、暦法の改良や天体観測に従事した。北京に天文台を設立し、経緯儀やアストロラーベなどの天文機器を製作した。宣教師としてキリスト教の布教活動を行いながら、現地の学者との文化交流を推進した。1688年1月28日に北京で没し、その業績は中国天文学の発展に大きく寄与した。
1688年 フェルディナント・フェルビースト 康熙帝 イエズス会 宣教師 1623年
1989年

パンチェン・ラマ10世

(1938 - 1989)

第10代パンチェン・ラマ

第10代パンチェン・ラマ
チベット仏教の高位僧侶である第10代パンチェン・ラマ。宗教指導者としての役割を果たしました。
1938年生まれ。幼少期に認定され、チベット仏教におけるパンチェン・ラマの地位を継承。 1950年代に中国政府と関係を築き、宗教と政治の狭間で指導的役割を担う。 文化大革命中に軟禁されるなど困難な時期を過ごしながらも、信徒の精神的支柱となりました。 宗教儀式の復興や寺院再建に尽力し、チベット仏教文化の保護に貢献。 1989年1月28日に逝去し、その遺志は多くの信奉者に受け継がれています。
パンチェン・ラマ10世 パンチェン・ラマ 1938年