1540年

ルドルフ・ファン・コーレン

(1540 - 1610)

数学者

数学者
1540年 ルドルフ・ファン・コーレン 数学者 1610年
1608年

ジョヴァンニ・ボレリ

(1608 - 1679)

物理学者

物理学者
イタリアの物理学者・生理学者で、動物の運動研究の先駆者。
ジョヴァンニ・ボレリは『動物の運動について(De Motu Animalium)』などの著作を通じて、身体運動を力学的に解明し、現代バイオメカニクスの基礎を築きました。 彼は解剖学的観察と物理学的方法を融合させ、筋肉の働きや関節の運動に関するモデルを提唱しました。 その精緻な実験と理論は、後の生理学・運動学の発展に大きな影響を与えました。 ボレリの研究は科学的方法の重要性を示し、近代科学の一翼を担う転機となりました。 1679年に没するまで活発に研究を続けました。
1608年 ジョヴァンニ・ボレリ 物理学者 1679年
1611年

ヨハネス・ヘヴェリウス

(1611 - 1687)

天文学者

天文学者
16~17世紀のポーランドの天文学者で、詳細な星表と月の地図を作成した人物。
ヨハネス・ヘヴェリウスはガダンスク(当時はダンツィヒ)で活躍した天文学者で、市民観測所を設立しました。 彼は望遠鏡を用いず肉眼で星の位置を精密に観測し、1687年に完成した『天文観測譜(Prodromus Astronomiae)』にまとめました。 また、月面の詳細な地形図を自ら描き、初期の月面地図表として高い評価を得ました。 天文機器の改良にも努め、自作の望遠鏡や観測器具を用いて観測精度を高めました。 その功績により、多くの天文物理学者に影響を与え、後世に名を残しました。
1611年 ヨハネス・ヘヴェリウス 天文学者 1687年
1701年

シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ

(1701 - 1674)

地理学者

地理学者
18世紀のフランスの地理学者・探検家で、南米赤道地方で子午線長を測定した。
シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌはフランス科学アカデミーの一員として、1735年に南米の赤道地域(現在のエクアドル)で子午線弧長を測定する遠征に参加しました。 この測定により地球が赤道で膨らんでいることが確認され、地球楕円体説の支持が強まりました。 彼は探検中にアンデス山脈を横断し、先住民文化や自然科学データを収集して報告書を作成しました。 また、清涼飲料カカオやキナの利用についても研究し、近代科学への多角的貢献が認められました。 1774年に没したとされ、科学と探検の融合を体現した人物です。
1701年 シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ 地理学者 1674年
1838年

ジェームズ・クレイグ・ワトソン

(1838 - 1880)

天文学者

天文学者
カナダ生まれの天文学者で、星表作成や小惑星発見で知られる人物。
1838年にカナダで生まれ、天文学の道へ進む。 ミシガン大学で教授を務めながら天体観測を行った。 複数の小惑星を発見し、詳細な星表を編纂した。 アン・アーバーに天文台を設立し、研究基盤を整備した。 1880年に没し、天文学史に功績を残した。
1838年 ジェームズ・クレイグ・ワトソン 1880年
1858年

ユージン・デュポア

(1858 - 1940)

人類学者

人類学者
オランダの人類学者で、『ジャワ原人』を発見した先駆的研究者。
1858年にオランダで生まれる。 東インド諸島で発掘調査を行い、『ジャワ原人』の化石を発見した。 進化人類学の基礎研究を推進し、学界に大きな影響を与えた。 ヨーロッパ各地で講演と著作を重ね、その名を知らしめた。 1940年に没し、人類進化研究の先駆者として評価される。
1858年 ユージン・デュポア 人類学者 1940年
1882年

柴田雄次

(1882 - 1980)

化学者

化学者
日本の化学者。有機化学を中心に研究を行い、教育者としても活躍した。
1882年生まれ。 有機合成化学の研究に従事し、染料や高分子化合物の合成法を開発した。 大学教授として学生の教育に力を注ぎ、多くの化学者を輩出した。 化学工業への応用研究にも取り組み、産業界との橋渡しを行った。 1980年に97歳で死去。
柴田雄次 化学者 1980年
1884年

オーギュスト・ピカール

(1884 - 1962)

物理学者

物理学者
スイスの物理学者・冒険家。高層気球や深海潜水艇を開発し探査に挑んだ。
1884年に生まれ。 高層気球を用いて成層圏への初の有人飛行に成功し、宇宙線研究に貢献した。 深海潜水艇「バチスカーフ」を開発し、マリアナ海溝への潜航を実現。 科学機器の設計技術と探査精神で知られ、多数の特許を保有した。 1962年に77歳で死去したが、その業績は後続の探査技術に影響を与え続けた。
1884年 オーギュスト・ピカール 物理学者 1962年
1886年

八木秀次

(1886 - 1976)

工学者

工学者
八木・宇田アンテナを共同発明した日本の工学者。無線通信技術の発展に貢献した。
1886年生まれ。 東北帝国大学工学部で学び、宇田新太郎と共にYagi-Udaアンテナを開発。 指向性アンテナの理論を確立し、無線通信やテレビ放送の基礎を築いた。 北海道帝国大学教授として教育・研究を指導し、多くの技術者を育成した。 1976年に90歳で死去。
1886年 八木秀次 工学者 1976年
1898年

安田徳太郎

(1898 - 1983)

医師、歴史家

医師 歴史家
日本の医師であり歴史家。
安田徳太郎は1898年に生まれ、1983年に没した日本の医師・歴史家です。 医師として地域医療や診療に携わり、多くの患者を支えました。 一方で歴史家として史料の収集や研究にも取り組みました。 医療と歴史研究の両立を通じて独自の視点を提供しました。 その多彩な業績は今日でも評価されています。
安田徳太郎 医師 歴史家 1983年
1903年

西堀栄三郎

(1903 - 1989)

無機化学者、登山家

無機化学者 登山家
無機化学者であり登山家。
西堀栄三郎は1903年に生まれ、1989年に没した無機化学者・登山家です。 無機化学の分野で物質の構造や反応に関する研究を行いました。 同時に登山家として国内外の山々に挑戦し、冒険心を示しました。 科学と自然を愛する姿勢で知られ、その両面で活躍しました。 多才な業績は幅広い分野に影響を与えました。
1903年 西堀栄三郎 無機化学者 登山家 1989年
1912年

高橋信次

(1912 - 1985)

医学者、放射線科医

医学者 放射線科医
日本の医学者・放射線科医。
高橋信次は1912年に生まれ、1985年に没した日本の医学者・放射線科医です。 放射線医学の研究と臨床応用に取り組みました。 診断技術や治療法の発展に貢献したとされています。 医療現場での放射線利用に関する教育にも携わりました。 日本の放射線医学の基礎を支えた一人です。
高橋信次 医学者 放射線科医 1985年