661年

アリー・イブン・アビー=ターリブの死去により、イスラム教正統カリフが終焉。

661年1月27日、イスラム教第四代正統カリフのアリー・イブン・アビー=ターリブが暗殺され、正統カリフ時代が終焉を迎えました。
アリー・イブン・アビー=ターリブは預言者ムハンマドの従弟であり、イスラム共同体(ウンマ)の第四代カリフとして統治しました。 在位中は内政の安定化と宗派対立の調停に尽力し、高い評価を受けました。 しかし政治的緊張が高まる中、661年に暗殺されてしまいます。 彼のリーダーシップや思想は後世のイスラム思想に多大な影響を与えました。 アリーの死去により正統カリフ時代は終焉を迎え、ウマイヤ朝へと移行します。
661年 アリー・イブン・アビー=ターリブ イスラム教 正統カリフ
紹興11年12月29日

南宋の武将岳飛が宰相秦檜により謀殺される。

1142年1月27日、南宋の武将岳飛が宰相秦檜の謀略により無実の罪で処刑されました。
岳飛は北伐を進め、金との戦いで数々の戦果を挙げた名将でした。 しかし政争に巻き込まれ、宰相秦檜の讒言により反逆の汚名を着せられます。 1142年、無実を訴えながらも獄中で処刑され、南宋は強力な軍事指導者を失いました。 岳飛の忠誠心と武勇は後世に語り継がれ、詩や物語で英雄視されています。 この事件は宋代の政治腐敗と軍民関係の緊張を象徴する出来事です。
1142年 紹興 12月29日 南宋 岳飛 秦檜
1186年

後の神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ6世がコスタンツァと結婚。

1186年1月27日、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世がシチリアの王女コスタンツァと政略結婚を行いました。
ハインリヒ6世はホーエンシュタウフェン家の皇帝として領土拡大を図っていました。 結婚相手のコスタンツァはシチリア王の娘であり、同盟によって南イタリアへの影響力を強化しました。 この政略結婚によりハインリヒ6世はシチリア王位継承権を獲得し、地中海地域での勢力基盤を固めました。 両家の同盟は神聖ローマ帝国と南イタリア諸侯の関係を変え、中世ヨーロッパの政治地図に影響を与えました。 結婚は皇帝と王女の間の連帯を深め、後の欧州王朝間の婚姻政策にも影響を及ぼしました。
1186年 神聖ローマ帝国 皇帝 ハインリヒ6世 コスタンツァ
天正14年12月19日

豊臣秀吉が太政大臣に任じられる。

1587年1月27日、豊臣秀吉が太政大臣に任命され、天皇から最高官位を授与されました。
豊臣秀吉は戦国時代の英傑として織田信長のあとを継ぎ、全国統一を果たしました。 天正14年に太政大臣に任命されることで、朝廷から正式に国家最高権力者として認められました。 この任命により豊臣政権は法的・名目的にも完成し、江戸幕府成立までの統治体制が整いました。 秀吉は領土支配と検地・刀狩などの政策を通じて封建体制を確立し、安定した社会を実現しました。 彼の統治は後の日本の中央集権化と近世国家の形成に重要な役割を果たしました。
1587年 天正 12月19日 豊臣秀吉 太政大臣
1593年

コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノがローマの異端審問所に引き渡される。7年間に獄中に留め置かれた末に1600年に異端審問を開始。

1593年1月27日、地動説擁護者ジョルダーノ・ブルーノがローマ異端審問所に引き渡され、長期の監禁が始まりました。
ジョルダーノ・ブルーノはコペルニクスの地動説を支持し、星界の無限性など独自の宇宙観を提唱しました。 1593年、ローマ教会は彼を異端容疑で逮捕し、ローマ異端審問所に引き渡しました。 以後ブルーノは約7年間にわたって獄中に留め置かれ、書簡や著作で自説を弁護し続けました。 1600年に正式な異端審問が開始され、最終的に火刑が執行されました。 彼の思想は近代科学の思想的基盤となり、学問の自由や良心の尊重を象徴する存在となりました。
1593年 コペルニクス 地動説 ジョルダーノ・ブルーノ ローマ 異端審問
1606年

イングランドでジェームス1世に対する暗殺未遂事件(火薬陰謀事件)で逃亡していた容疑者ら8名が裁判にかけられた。

1606年1月27日、ジェームス1世暗殺を企てた火薬陰謀事件の容疑者8名が裁判にかけられました。
1605年に発覚した火薬陰謀事件では、イングランド議会爆破を狙ったカトリック過激派が関与していました。 事件の首謀者ガイ・フォークスら8名は逮捕後、翌年スタフォード裁判所で裁かれました。 裁判では爆薬の所持や反逆罪が問われ、有罪判決を受けた者は処刑されました。 この事件は宗教対立の激化を象徴し、以降11月5日の「ガイ・フォークス・ナイト」として記憶されます。 裁判と処刑はプロテスタント国イングランドの団結を促し、国家統制の強化に寄与しました。
1606年 イングランド 火薬陰謀事件
1785年

アメリカ合衆国初の公立大学、ジョージア大学が開学。

1785年1月27日、アメリカ初の公立大学であるジョージア大学が設立され、教育の普及が始まりました。
ジョージア大学はアメリカ13植民地のうち最後に創設された植民地政府によって設立されました。 1785年、アブラハム・ボールドウィンら設立者によって公的資金で運営される大学としての道を開きました。 市民の教育機会を拡大し、民主主義社会に必要な人材養成を目的としていました。 初期のカリキュラムには神学、法律、医学などが含まれ、後に全米の公立大学モデルとなりました。 現在も多様な学部を擁し、リサーチと教育で高い評価を受け続けています。
1785年 アメリカ合衆国 ジョージア大学
慶応4年1月3日

戊辰戦争で、鳥羽・伏見の戦いが行われる。

1868年1月27日(慶応4年1月3日)、戊辰戦争の緒戦である鳥羽・伏見の戦いが始まりました。
鳥羽・伏見の戦いは新政府軍と旧幕府軍の最初の本格的な衝突でした。 京都郊外の鳥羽・伏見で旧幕府軍が拠点防衛を試みる中、新政府軍が兵力を集中させました。 長時間の攻防の末、新政府軍が勝利し、旧幕府軍は大坂方面へ退却しました。 この戦いの結果、旧体制側は大きな打撃を受け、戊辰戦争の流れを決定づけました。 戦後、江戸城無血開城への道が開かれ、明治維新の進展に寄与しました。
1868年 慶応 1月3日 戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦い
明治元年12月15日

榎本武揚ら、旧幕府軍が箱館で蝦夷地の領有を宣言。いわゆる蝦夷共和国が発足する。

1869年1月27日(明治元年12月15日)、榎本武揚ら旧幕府軍が箱館で蝦夷共和国を樹立しました。
戊辰戦争の敗北後、旧幕府軍の指導者榎本武揚は蝦夷地へ向かい、抵抗拠点を築きました。 箱館政府として知られる蝦夷共和国は、近代憲法を模した政体と軍隊を有しました。 1871年まで短期間存続し、欧米列強への邦交維持を試みるなど独自の外交政策を展開しました。 最終的に新政府軍の攻撃で陥落し、共和政は崩壊しました。 蝦夷共和国の試みは日本で最初の近代的共和国の成立を目指した事例として注目されます。
1869年 明治 12月15日 榎本武揚 箱館 蝦夷地 蝦夷共和国
1880年

トーマス・エジソンが白熱電球の特許を取得。

1880年1月27日、発明家トーマス・エジソンが白熱電球の特許を取得しました。
トーマス・エジソンは長年の実験を経て、実用的な白熱電球の開発に成功しました。 特許取得により改良フィラメントと真空管技術が認められ、電球の普及が加速しました。 これまでのガス照明に代わり、安全で効率的な電気照明が可能となりました。 電球の普及は都市インフラの夜間稼働を支え、産業や家庭生活を一変させました。 エジソンの発明は現代の電気文明の礎を築き、エネルギー利用の歴史における転換点となりました。
1880年 トーマス・エジソン 白熱電球 特許
1882年

生命保険の死亡保険金が日本で初めて支払われ、同年1月31日に新聞報道される。

1882年1月27日、日本で初めて生命保険の死亡保険金が支払われました。
1882年1月27日、日本で初めて生命保険の死亡保険金が支払われた日です。 契約者の死亡を受けて保険会社が金銭補償を行った最初の事例となりました。 同年1月31日に新聞で報道され、この出来事は国内の保険制度への信頼向上に寄与しました。 近代的な金融商品として生命保険が広く認知される契機となりました。 その後の保険業発展の土台を築いた歴史的な出来事です。
1882年 生命保険
1888年

アメリカ合衆国・ワシントンD.C.にナショナルジオグラフィック協会創設。

1888年1月27日、ナショナルジオグラフィック協会が創設されました。
1888年1月27日にナショナルジオグラフィック協会がワシントンD.C.で設立されました。 地理学や探検、自然史の研究を支援する非営利組織として発足しました。 設立当初の会員には科学者や探検家らが名を連ね、雑誌『National Geographic』を発行し情報を発信しました。 写真を多用した誌面デザインが特徴で、世界中の自然や文化を紹介しました。 現在も世界有数の教育・科学普及団体として活躍し続けています。
1888年 ワシントンD.C. ナショナルジオグラフィック協会