1500年

ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがヨーロッパ人で初めて現在のブラジルに上陸。

1500年、スペインの航海者ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがヨーロッパ人として初めて現ブラジルに上陸しました。
ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンは15世紀後半の大航海時代を代表する航海者です。 1500年1月26日(旧暦)にブラジル北東岸に到達し、ヨーロッパ人初の上陸地点となりました。 この上陸はポルトガル帝国の南米探検の先駆けとなり、後の植民地支配の基盤を築きました。 ピンソンは現地先住民と初接触を果たし、航海記録を通じて新世界の存在をヨーロッパに伝えました。 この出来事はブラジル『発見』の前兆として位置づけられています。
1500年 ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン ブラジル
1948年

帝銀事件: 帝国銀行椎名町支店で東京都衛生員を名乗る男が行員12名を毒殺、現金・小切手18万1千円を強奪。

1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店で銀行員12名が毒殺された未解決の強盗事件です。
1948年1月26日、東京都椎名町にある帝国銀行椎名町支店で、男が「東京都衛生委員」を名乗り行員たちに毒入り飲料を飲ませた。 行員12名が死亡し、現金と小切手合計181,000円が奪われた。 200人以上の警察官が捜査に当たったが、真犯人の特定には至らなかった。 事件当時、戦後混乱期の混雑を狙った計画的犯行とも言われる。 未解決事件としてタブー視され、関係者以外の証言もほとんどない。 以後の銀行強盗事件にも大きな影響を与えた。
1948年 帝銀事件 帝国銀行
1979年

三菱銀行人質事件: 大阪市の三菱銀行北畠支店で警官2人と行員2人を殺害した犯人梅川昭美が客らを人質に42時間籠城。28日、大阪府警により射殺される。

1979年1月26日、大阪市の三菱銀行北畠支店で梅川昭美による人質事件が発生し、警官2人と行員2人が殺害されました。
1979年1月26日、犯人の梅川昭美が三菱銀行北畠支店に押し入り、警官と行員計4名を射殺しました。 その後42時間にわたり多数の客を人質に籠城し、大阪府警との交渉が続きました。 籠城は1月28日まで続き、突入作戦の末に梅川は射殺されました。 この事件は日本国内での銀行強盗・人質事件として異例の長期化となり、警察の対応を巡る議論が起こりました。 事件後、銀行の警備体制強化や警察の危機管理能力向上が図られました。
1979年 三菱銀行人質事件 大阪市 三菱銀行 梅川昭美 28日 大阪府警
1985年

大阪府吹田市で一和会系組員が竹中正久・山口組組長ら最高幹部3人を射殺、山口組・一和会の抗争が勃発。

1985年1月26日、大阪府吹田市で山口組と一和会の抗争が激化し、最高幹部3人が射殺されました。
1985年1月26日、大阪府吹田市で一和会系組員が山口組の竹中正久組長ら最高幹部3名を銃撃し射殺しました。 これを契機に山口組と一和会の抗争は激化し、関西地域を中心に緊張が高まりました。 警察は両組織の動向を注視し、治安維持に努めました。 この抗争は後に「山一戦争」と呼ばれ、ヤクザ抗争の一大事件として知られています。 事件後の取り締まり強化や組織再編が進められ、暴力団対策が社会問題となりました。
1985年 大阪府 吹田市 一和会 竹中正久 山口組 山口組・一和会の抗争