天慶2年12月15日

平将門が上野国の国衙を倒し上野国・下野国を制圧する。

平将門が939年に上野国で起こした反乱の一環として、国衙を攻略し勢力を拡大した決定的な戦いです。
平将門は関東地方を根拠に活動していた武士で、中央からの自立を目指していました。 939年(天慶2年)12月15日、上野国(現在の群馬県)の国衙を襲撃して占領し、下野国にも侵攻しました。 この戦闘は将門の乱の重要な転機となり、彼が東国一帯を支配する足掛かりとなりました。 朝廷や他の武士団も震撼し、最終的には討伐軍が派遣されて鎮圧されました。 この出来事は中世初期の武士の台頭を象徴する歴史的事件です。
939年 天慶 12月15日 平将門 上野国 国衙 下野国
1347年

教皇クレメンス6世から、中欧最古の大学であるプラハ・カレル大学設立の勅令が発せられる。

1347年、教皇クレメンス6世がプラハ・カレル大学設立を命じ、中欧で最も古い大学が誕生しました。
プラハ・カレル大学は1347年に創立された中欧最古の大学です。 教皇クレメンス6世の勅令により正式に設立が認められ、学術と教育の中心地となりました。 神学や法学、医学などの学部が設置され、ヨーロッパ全域から学生が集まりました。 この大学はチェコ学派の形成やフス派運動など、後の宗教改革にも影響を与えています。 現在もチェコを代表する研究教育機関として機能しています。
1347年 クレメンス6世 プラハ・カレル大学
1500年

ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがヨーロッパ人で初めて現在のブラジルに上陸。

1500年、スペインの航海者ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがヨーロッパ人として初めて現ブラジルに上陸しました。
ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンは15世紀後半の大航海時代を代表する航海者です。 1500年1月26日(旧暦)にブラジル北東岸に到達し、ヨーロッパ人初の上陸地点となりました。 この上陸はポルトガル帝国の南米探検の先駆けとなり、後の植民地支配の基盤を築きました。 ピンソンは現地先住民と初接触を果たし、航海記録を通じて新世界の存在をヨーロッパに伝えました。 この出来事はブラジル『発見』の前兆として位置づけられています。
1500年 ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン ブラジル
寛永9年12月17日

江戸幕府が大名監視のための大目付を設置する。

1633年、江戸幕府が大名の監視強化を目的に大目付を新設しました。
江戸幕府は寛永9年(1633年)に大名監視のため『大目付』の役職を設置しました。 大目付は大名や旗本の行動を監察し、幕府に報告を行う監視官にあたります。 これにより各地大名の不穏な動きや潜在的反乱の芽を早期に摘む仕組みが整えられました。 制度は幕藩体制の安定化に寄与し、江戸時代の統治機構の基盤となりました。 大目付の設置は幕府の統治能力を強化する重要な一歩でした。
1633年 寛永 12月17日 江戸幕府 大名 大目付
1699年

オスマン帝国とヨーロッパ諸国がカルロヴィッツ条約を締結。オスマン帝国が初めてヨーロッパ諸国に領土を割譲。

1699年、オスマン帝国とヨーロッパ諸国がカルロヴィッツ条約を締結し、オスマン帝国が領土を初めて割譲しました。
カルロヴィッツ条約は1699年1月26日に締結された大トルコ戦争の講和条約です。 オーストリア、ポーランド、ロシアなどの連合軍とオスマン帝国との間で交わされました。 これによりオスマン帝国はハンガリーやトランシルヴァニア北部などを失い、ヨーロッパにおける影響力が後退しました。 条約は帝国にとって初の大規模領土割譲となり、衰退の始まりを象徴します。 一方、ハプスブルク帝国は中欧での支配を強固にしました。
1699年 オスマン帝国 カルロヴィッツ条約
1700年

21時頃、アメリカ太平洋岸西部でマグニチュード8.7~9.2のカスケード地震発生。

1700年、アメリカ太平洋岸北西部でマグニチュード8.7~9.2のカスケード地震が発生しました。
1700年1月26日(日本時間1月27日未明)、北アメリカ太平洋岸北西部を襲った巨大地震です。 推定マグニチュードは8.7~9.2に達し、沿岸部に大規模な津波をもたらしました。 津波は太平洋を横断し日本の沿岸にも到達し、当時の記録に被害報告が残されています。 この地震はプレート沈み込み帯で起きたカスケード沈み込み帯地震とされ、古地震研究で重要視されています。 近年の防災対策のモデルケースとしても再評価が進められています。
1700年 アメリカ マグニチュード カスケード地震
1788年

オーストラリアの日: 英国海軍の軍人アーサー・フィリップ率いる最初の植民船団がオーストラリアのシドニーに上陸。

1788年、英国海軍のアーサー・フィリップ率いる最初の植民船団がシドニー湾に上陸しました。
最初の植民船団は1787年に英国を出帆し、約8か月の航海を経て到着しました。 1788年1月26日、アーサー・フィリップ提督が率いる11隻の船団がシドニー湾に上陸しました。 これがオーストラリア大陸におけるヨーロッパ人の最初の恒久的入植となります。 原住民アボリジニとの接触や食糧不足など、多くの苦難を乗り越えて植民地は成立しました。 この日が後に『オーストラリアの日』として国民的祝日となっています。
1788年 オーストラリアの日 アーサー・フィリップ オーストラリア シドニー
天保6年12月9日

寺社奉行脇坂安董が出石藩仙石家のお家騒動の裁定を下す。仙石騒動の決着。

1836年、寺社奉行・脇坂安董が出石藩仙石家の家督争い『仙石騒動』を裁定し終結させました。
1836年(天保6年12月9日:新暦1月26日)、寺社奉行脇坂安董が出石藩仙石家を巡るお家騒動の最終裁定を行いました。 この騒動では藩主の正統性を巡って家中が分裂し、領民にも混乱が広がっていました。 安董は現地に出向いて証拠調査や関係者の聞き取りを行い、公正な判断を下しました。 裁定により仙石家の家督問題は解決し、藩政の安定化が図られました。 幕府の藩政介入の事例として後世に影響を与えています。
1836年 天保 12月9日 寺社奉行 脇坂安董 出石藩 仙石家 お家騒動 仙石騒動
1837年

ミシガン準州が州に昇格し、アメリカ合衆国26番目の州・ミシガン州となる。

1837年、ミシガン準州が州に昇格し、アメリカ合衆国26番目のミシガン州が誕生しました。
アメリカ合衆国西部開拓の進展に伴い、ミシガン準州は人口増加と自治権要求を強めていました。 1837年1月26日、連邦議会の承認により正式に『ミシガン州』として認定されました。 これにより州憲法が制定され、選挙による州政府の権限が付与されました。 ミシガン州は五大湖周辺の産業発展に寄与し、後の鉄鋼業や自動車産業の基盤となりました。 州昇格はアメリカ西部拡大政策を象徴する重要なステップでした。
1837年 ミシガン準州 アメリカ合衆国 ミシガン州
1881年

東京神田で、松枝町(現・岩本町)を火元する大火災が発生。1万637戸が焼失。

1881年、東京神田松枝町(現・岩本町)を中心に大火災が発生し、1万637戸が全焼しました。
1881年1月26日夜、東京・神田松枝町で出火し瞬く間に大規模火災となりました。 風に煽られて延焼は周囲に広がり、約16,370戸の家屋が焼失しました。 当時の消防体制の脆弱さや木造家屋密集の危険性が浮き彫りとなりました。 被災者は仮設住居や寄付で支援を受け、復興に向けた街づくりが始まりました。 この火災は明治時代の都市火災の深刻さを象徴する事件です。
1881年 岩本町
1886年

函館県・札幌県・根室県を廃止し北海道庁を設置。

北海道庁が設置され、北海道行政の統一が図られました。
明治19年(1886年)1月26日、旧来の函館県・札幌県・根室県が廃止され、中央政府直轄の北海道庁が設置されました。 これにより北海道全域の行政が一元化され、開拓使制度廃止後の新体制が確立されました。 北海道庁は札幌に置かれ、開拓やインフラ整備を本格化させる拠点となりました。 統一された行政機構により居留地の整備や産業振興が効率化され、地域発展の基盤が築かれました。 この改革は北海道の近代化を加速させた重要な転換点とされています。
1886年 函館県 札幌県 根室県 北海道
1905年

南アフリカのカリナン鉱山で史上最大のダイヤモンド原石「カリナン」を発見。

3106カラットの巨大原石が発見され、ダイヤモンド史に刻まれる出来事となりました。
1905年1月26日、南アフリカのカリナン鉱山で約3106カラットの巨大ダイヤ原石が発見されました。 発見者は鉱山労働者フレデリック・ウェルズとされ、その原石はイギリス王室に献上されました。 後に「カリナンI」「カリナンII」など複数の宝石にカットされ、王冠や王笏に使用されました。 史上最大の宝石品質のダイヤモンドとして知られ、世界各地の博物館で展示されています。 この発見は鉱山技術の発展にも寄与し、採掘史における金字塔とされます。
1905年 南アフリカ カリナン鉱山 ダイヤモンド カリナン