嘉靖34年12月12日
明の陝西省で華県地震、死者数は歴史上最大の83万。
死者数が記録史上最大とされる約83万人の犠牲者を出した、明代最大の大地震です。
1556年(嘉靖34年)12月12日、明朝時代の陝西省華県付近を震源とする大地震が発生。
公式記録によれば、犠牲者数は約83万人に上り、世界史上でも最大級。
地殻変動による石灰岩地帯の洞窟住居崩壊が被害を拡大。
農村や都市部の建物が倒壊し、社会的・経済的打撃が甚大。
復興には長期間を要し、以降の被災地治水・防災史にも影響を与えました。
1556年
嘉靖
12月12日
明
陝西省
華県地震
1902年
八甲田雪中行軍遭難事件: 八甲田山で行われた陸軍の雪中耐寒行軍で、青森歩兵第5連隊第2大隊210人のうち199人が遭難死するという世界山岳遭難史上無類の大量遭難事件が発生。
1902年の八甲田雪中行軍で青森歩兵第5連隊が凍死・遭難し、陸軍史上でも類を見ない大量犠牲者を出しました。
1902年1月23日、青森県八甲田山で陸軍第5連隊第2大隊210名が耐寒訓練中に吹雪に遭遇。
装備や天候判断の不備が重なり、199名が凍死または行方不明に。
史上最大級の雪山遭難事故とされる。
調査で訓練計画の問題点や指揮命令系統の欠陥が明らかに。
その後、軍の寒冷地装備や雪中行軍訓練の改善を促す契機となりました。
1902年
八甲田雪中行軍遭難事件
八甲田山
1910年
逗子開成中学校の生徒ら12名が乗ったボートが七里ヶ浜沖で転覆し、全員が死亡。この事件を題材とした「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」は全国で愛唱された。
逗子開成中学の生徒12名を乗せたボートが七里ヶ浜沖で転覆し、全員が命を落とす悲劇が発生しました。
1910年1月23日、逗子開成中学校の生徒ら12名が冬の湘南海岸でボート遠足中に海上で転覆し、全員が溺死しました。事故の悲しさを慕う詩人や作曲家によって「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」が作られ、全国で広く歌い継がれました。この歌は失われた青春と湘南海岸の風景を重ね合わせ、多くの人々の胸に深い感動を残しています。事件は海での安全管理の重要性を改めて人々に問いかけました。
1910年
逗子開成中学校
七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)
1973年
アイスランド・ヘイマエイ島で割れ目噴火が発生。溶岩流が町に流れたため、全島民がアイスランド本土に疎開。
1973年、アイスランドのヘイマエイ島で割れ目噴火が発生し、住民全員が疎開。
1973年1月23日、アイスランド南西部のヘイマエイ島において、大規模な割れ目噴火が突然発生しました。
噴火によって流れ出した溶岩流は島の中心部と港湾地域を襲い、町を壊滅の危機に晒しました。
住民全員約5,300名はアイスランド本土へ緊急疎開を実施し、安全が確保されました。
地熱エネルギーと海水を利用して溶岩流を冷却・固化させるという革新的な対策が行われ、港の機能が守られました。
この噴火は火山防災の教訓となり、溶岩流制御の技術開発につながりました。
1973年
アイスランド
ヘイマエイ島
割れ目噴火
2024年
中国新疆ウイグル自治区アクス地区ウシュトゥルファン県で、マグニチュード7.1の大地震が発生(ウシュトゥルファン地震)。
新疆ウイグル自治区でマグニチュード7.1の大地震が発生した。
2024年1月23日、中国新疆ウイグル自治区アクス地区ウシュトゥルファン県を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生。
深さ約10kmで起きた強い揺れは広範囲に甚大な被害をもたらし、多数の建物が倒壊した。
現地当局は直ちに救助隊や医療チームを派遣し、負傷者の救助と避難所の設置を開始。
余震の恐れがあるとして、周辺住民には警戒を呼びかけるとともに、道路やインフラの復旧作業が急がれた。
中国政府は支援物資と医療スタッフを投入し、被災地の復興に向けた体制を整えている。
2024年
ウシュトゥルファン地震
2025年
ロサンゼルスの北約72キロに位置するキャスティーク湖近くで新たな山火事が発生。
キャスティーク湖周辺で大規模な山火事が発生した。
2025年1月23日、米カリフォルニア州ロサンゼルス郡のキャスティーク湖近郊で山火事が発生。
乾燥した気候と強風が重なり、火は急速に広がった。
地元消防当局はヘリコプターや地上部隊を動員し、広域での消火活動を展開。
近隣住民数百人に避難勧告が出され、主要道路では交通規制が敷かれた。
消火には数日を要する見通しで、被害の全容解明と再発防止に向けた調査が進められている。
ロサンゼルス