1757年

フレンチ・インディアン戦争: かんじきの戦い起こる。

1757年、北米でフレンチ・インディアン戦争の一戦「かんじきの戦い」が発生しました。 雪上でのゲリラ戦が特徴的な小規模ながら重要な衝突でした。
1757年1月21日、フレンチ・インディアン戦争の戦闘の一つとして「かんじきの戦い」が勃発しました。 イギリス軍の前哨部隊が雪深い森の中でフランス軍とその同盟部族に襲撃されました。 名称は兵士が雪上移動のためにかんじきを使用していたことに由来します。 両軍ともゲリラ戦術を用いて夜間の奇襲を繰り返し、戦力差を縮めようとしました。 戦いは小規模ながら北米戦域におけるゲリラ戦の有効性を示し、その後の作戦に影響を与えました。 この戦闘は当時の北米植民地における軍事戦略の転換点となりました。
1757年 フレンチ・インディアン戦争 かんじきの戦い
1940年

浅間丸事件: 英独間は戦争状態にあり、イギリス海軍の軽巡洋艦リヴァプールが、千葉県野島崎沖を航行中の浅間丸を臨検し、ドイツ人乗客21名を逮捕した。

第二次大戦下で英国艦船が日本船を臨検し、ドイツ人乗客を逮捕した事件です。
1940年1月21日、第二次世界大戦勃発後の海上封鎖を背景に、イギリス海軍軽巡洋艦リヴァプールが千葉県野島崎沖を航行中の日本客船「浅間丸」を臨検しました。 当時、日独は非交戦国同士であったものの、浅間丸には独国籍の乗客21名が搭乗しており、リヴァプールは彼らを敵国人として逮捕。 この行為は日本側の主権侵害とされ、外務省は英側に抗議。両国間で激しい外交摩擦が発生しました。 浅間丸事件は戦時国際法と中立通商権をめぐる問題として国内外で議論を呼び、のちに英国は一部乗客の釈放を行いました。 この事件は日英関係に深い溝を残し、太平洋戦争への流れにも影響を与えたとされています。
1940年 浅間丸事件 イギリス海軍 軽巡洋艦 リヴァプール 浅間丸 臨検 ドイツ
1968年

ベトナム戦争:ケサンの戦いが始まる。

ベトナム戦争のケサンの戦いが始まり、長期包囲戦の幕が開けた。
1968年1月21日、ベトナム戦争において北ベトナム軍が南ベトナム北西部のケサン基地を包囲し、「ケサンの戦い」が始まりました。\n米海兵隊が駐屯していたこの基地は補給路を絶たれ、激しい砲爆撃と地上戦で両軍に多大な被害が出ました。\n戦闘はおよそ3ヵ月にわたり、北ベトナム軍は地上からの包囲、アメリカ軍は空輸・空爆で応じる消耗戦となりました。\n戦略的要衝を巡る攻防はアメリカ世論にも大きく影響し、戦争継続への疑問を深める契機となりました。\n最終的にアメリカ軍は基地を死守し、戦術的勝利を得たとされますが、その犠牲は甚大でした。
ベトナム戦争 ケサンの戦い
1995年

未遂に終わったテロの計画「ボジンカ計画」の決行が予定されていた日。

フィリピン発の航空機テロ計画「ボジンカ計画」が、1995年1月21日に実行を予定していたものの未遂に終わりました。
ボジンカ計画はオサマ・ビンラディンの影響下にあったラムジ・ユヌスとマウリッド・シェイク・モハメドが共謀し、1995年初頭に仕組んだ大規模テロ作戦です。1月21日に数機の旅客機爆破やフィリピン国内での爆弾テロ、米国大使館への攻撃を計画していましたが、1月6日にフィリピン当局によって製造現場が摘発され、実行直前に頓挫しました。この未遂は後の2001年9月11日テロの前兆とも見なされ、国際的なテロ対策の強化につながりました。
1995年 ボジンカ計画