1824年

ストーンウォール・ジャクソン

(1824 - 1863)

軍人

軍人
アメリカ南北戦争の南部連合軍の名将。不屈の精神と戦術眼で多くの勝利を収めた。
1824年に生まれ、バージニア州の学校教員として勤務。 南北戦争開戦後は南部連合軍に参加し、師団長として活躍。 マナサスの戦いで『ストーンウォール(石壁)』の異名を得る。 ヴァレー方面作戦やシャイローの戦いなど数々の戦役で指揮を執った。 戦術的才能は南部軍の戦争遂行に大きく寄与した。 1863年に偶発的な砲撃で負傷し、回復後まもなく病没した。
1824年 ストーンウォール・ジャクソン 軍人 1863年
1867年

マキシム・ウェイガン

(1867 - 1965)

軍人

軍人
フランスの軍人・元帥。第一次世界大戦で高い評価を得た。
1867年に生まれ、陸軍士官学校を卒業後、将校として勤務。 第一次世界大戦では参謀として総司令部やヴェルダンの戦いに関与。 戦後は軍務大臣や参謀総長を歴任し、軍事計画に携わる。 1920年代にはフランス軍の再編や防衛政策を推進。 1930年代には元帥に任命され、軍事的権威を確立。 1965年に死去し、戦間期フランス軍の中心人物として知られる。
1867年 マキシム・ウェイガン 1965年
1885年

板垣征四郎

(1885 - 1948)

陸軍軍人

陸軍軍人
板垣征四郎は大日本帝国陸軍の将軍。日中戦争や太平洋戦争で指揮を執り、戦後は戦犯容疑で裁判にかけられた。
1885年に宮城県で生まれる。陸軍士官学校を卒業後、歩兵部隊を皮切りに各地で活躍し、支那事変や太平洋戦争では師団や軍集団の指揮官を務めた。 1945年には終戦直前の陸軍大臣に就任し、当時の軍部内部で重要な役割を担った。 戦後、南京事件などの戦犯責任を問われ、中華民国の裁判所で死刑判決を受け1948年に処刑された。 軍事指揮官としての評価の一方で、戦後の裁判をめぐる論争も残し、日本軍の責任問題を象徴する人物となった。
1885年 板垣征四郎 陸軍軍人 1948年
1885年

ウンベルト・ノビレ

(1885 - 1978)

探検家、軍人

探検家 軍人
イタリアの飛行船技術者・探検家。北極探検で飛行船「ノルゲ号」「イタリア号」を指揮した。
1885年にイタリア・セニガリアで生まれる。工学を学びながら飛行船の設計に従事し、第一次世界大戦中は軍用飛行船の開発に携わった。 1926年、飛行船「ノルゲ号」でロックフェラーの支援を受け北極点上空を初飛行し、その後も1928年の「イタリア号」探検隊を率いて北極探検に挑んだ。 帰還時の飛行船事故を経験した後も、航空技術や極地探検の第一人者として研究と教育に尽力した。 第二次世界大戦後はイタリアに戻り、1978年に93歳で亡くなるまで功績を称えられ続けた。
ウンベルト・ノビレ 探検家 1978年