1891年
衆議院政府委員室から出火して貴族院にも延焼し、帝国議会議事堂を全焼する火災発生。
東京・帝国議会議事堂が出火し、日本の立法府の象徴的建物が全焼した大火災。
1891年1月20日、東京の帝国議会議事堂内にある衆議院政府委員室から出火しました。
火は貴族院側にも延焼し、当時の議事堂はほぼ完全に焼失しました。
設計はイギリス人建築士トーマス・アーサー・ウォーターズによるもので、洋風建築の代表例でした。
焼失により議会活動は一時停止を余儀なくされ、仮議事堂での運営を強いられました。
この火災を機に耐火性の高い新議事堂建設構想が持ち上がり、後の国会議事堂建設のきっかけとなりました。
1891年
帝国議会議事堂
1917年
インドネシアのバリ島でM6.8の地震、約1300人死亡。
バリ島でM6.8の地震が発生し、約1300人が犠牲となった大規模震災。
1917年1月20日、インドネシア・バリ島を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。
強い揺れは島内全域に達し、多くの家屋が倒壊しました。
当時の建築技術の限界もあり、被害は甚大でおよそ1300人が命を落としたと推定されます。
地震後には余震や土砂崩れも相次ぎ、救援活動は困難を極めました。
この災害はバリ島の地域社会に深い傷跡を残し、防災意識の向上を促す契機となりました。
1917年
インドネシア
バリ島
M
1918年
大正7年豪雪により、山形県朝日村(現・鶴岡市)の大鳥鉱山で雪崩が発生。死者154人。
山形・大鳥鉱山で豪雪による雪崩が発生し、154人が犠牲となった惨事。
1918年1月20日、大正7年豪雪の影響で山形県朝日村(現・鶴岡市)の大鳥鉱山で雪崩が発生しました。
坑道や住居が雪に埋まり、作業員や家族を含む154人が死亡しました。
当時は豪雪への備えが不十分で、救助活動は雪崩の危険と極寒の中で難航しました。
地域社会は深い悲しみに包まれ、冬季山岳地帯の安全対策見直しが課題となりました。
この災害は後の鉱山防災や豪雪対策強化の出発点となったともいわれています。
1918年
山形県
朝日村
鶴岡市
1955年
飯田線田本駅 門島駅間の鉄橋上で電車が落石に乗り上げて脱線転覆。天竜川へ転落して死者2人、重軽傷27人。
飯田線で落石による脱線事故が発生し、列車が天竜川に転落して死傷者が出ました。
1955年1月20日、長野県飯田線の田本駅~門島駅間で岩石崩落が発生し、通過中の列車が乗り上げて脱線しました。
脱線した車両は天竜川の河原に転落し、乗客乗員のうち2人が死亡、27人が重軽傷を負いました。
事故原因は保線管理の不十分さと冬季の自然災害リスクが重なったことによるものとされます。
この事故を受けて鉄道保線体制の強化や緊急対応マニュアルの整備が進められました。
地域輸送の安全性確保の必要性を痛感させられた教訓深い事故として記憶されています。
1955年
飯田線
田本駅
門島駅
天竜川
1992年
エールアンテール148便墜落事故。
1992年1月20日、フランス国内線エールアンテール148便が墜落し、乗員乗客に甚大な被害をもたらしました。
1992年1月20日、エールアンテール148便がフランス北東部の山岳地帯へ墜落しました。事故の原因は誤った高度計操作や地形認識の問題とされ、乗員乗客に甚大な被害を与えました。墜落後、フランス国内の航空安全に対する懸念が高まり、運航手順の見直しが求められました。この事故を契機に航空業界では安全対策が強化され、同様の事故防止に向けた技術導入が進められました。事故後、被害者支援や遺族への補償問題も大きな課題となりました。
1992年
エールアンテール148便墜落事故