1265年

シモン・ド・モンフォールの主導で、ウェストミンスター宮殿にて全国から選出された貴族の代表者が会合。最初のイギリス国会と看做すこともある。

シモン・ド・モンフォールが貴族や騎士、都市の代表を招集し、議会の基盤を築いた歴史的会合。
1265年1月20日、シモン・ド・モンフォールはバーリスの蜂起を背景にウェストミンスター宮殿で貴族と騎士、都市の代表から成る会合を招集しました。 この「モンフォールの議会」は庶民代表が参加した初の集会とされ、王権中心の政治に庶民の声を取り入れる画期的な試みでした。 会合では税制や法律の制定過程への関与が認められ、身分を超えた合意形成が行われました。 後の英議会制民主主義の礎を築いた点で歴史的意義が大きく、現代の立法府の前身ともみなされます。 同年の会合は一度きりでしたが、その後の議会制度発展に大きな影響を与えました。
1265年 シモン・ド・モンフォール ウェストミンスター宮殿 イギリス
1320年

ヴワディスワフ1世がポーランド王に即位。

ヴワディスワフ1世がポーランド王に即位し、国の統一に向けた第一歩を踏み出した出来事。
1320年1月20日、ポーランドの分裂状態を終わらせるべくヴワディスワフ1世がクラカウで正式に王冠を受けました。 彼の即位は諸侯間の長引く内紛を収束させ、中央集権化を進める重要な転換点となります。 即位には教皇からの承認も得られ、国際的な正当性を確保しました。 在位中は都市特権の拡大や財政改革を推進し、国内の安定化に尽力しました。 この時代は後のポーランド王国の発展基盤を築いた世紀とされています。
1320年 ヴワディスワフ1世 ポーランド王
1777年

アメリカ独立戦争: ミルストーンの戦いが行われる。

アメリカ独立戦争中に行われたとされる戦闘の一つ。
1777年1月20日、アメリカ独立戦争の一環としてミルストーンの戦いが行われたと伝えられています。 両軍の兵力や指揮官、戦闘の詳細は史料が乏しく不明点が多いです。 確かな戦果や被害規模は記録されておらず、戦争全体の大きな転換点とはみなされていません。 しかし当時の戦闘例として地元住民や軍隊の日常的な衝突を示す史料の一つです。 今後の研究で詳細が解明される可能性が期待されています。
1777年 アメリカ独立戦争 ミルストーンの戦い
1841年

イギリスが香港を占領。

第一次アヘン戦争中、英国海軍が香港島を占領し、植民地化への道を開いた。
1841年1月20日、第一次アヘン戦争中の作戦として英国海軍が香港島に上陸し占領しました。 この占領は英国の東アジア進出を象徴し、後の香港艦隊基地設置につながります。 当時の清朝は抵抗能力が低かったため、島は容易に制圧されました。 英軍は香港を戦略的拠点と位置づけ、翌年の南京条約締結後に正式に割譲を勝ち取りました。 その後、香港はイギリス植民地として発展し、国際貿易港としての歴史が始まりました。
1841年 イギリス 香港
1891年

衆議院政府委員室から出火して貴族院にも延焼し、帝国議会議事堂を全焼する火災発生。

東京・帝国議会議事堂が出火し、日本の立法府の象徴的建物が全焼した大火災。
1891年1月20日、東京の帝国議会議事堂内にある衆議院政府委員室から出火しました。 火は貴族院側にも延焼し、当時の議事堂はほぼ完全に焼失しました。 設計はイギリス人建築士トーマス・アーサー・ウォーターズによるもので、洋風建築の代表例でした。 焼失により議会活動は一時停止を余儀なくされ、仮議事堂での運営を強いられました。 この火災を機に耐火性の高い新議事堂建設構想が持ち上がり、後の国会議事堂建設のきっかけとなりました。
1891年 帝国議会議事堂
1892年

マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCA訓練校で、同校講師ジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの初の公式試合が行われる。

ジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの初公式試合が行われた記念日。
1892年1月20日、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCA訓練校でジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの初の公式試合が行われました。 この試合は男女9人ずつのチームでプレーし、当初は桃のバスケットをゴールとして使用。 ルールは13項目にまとめられ、ボールを地面に叩きつけずに投げるなど現在に通じる基本的概念が含まれています。 以後、競技は全米へと広がり、現在の世界的スポーツへと発展しました。
1892年 マサチューセッツ州 スプリングフィールド YMCA ジェームズ・ネイスミス バスケットボール
1917年

インドネシアのバリ島でM6.8の地震、約1300人死亡。

バリ島でM6.8の地震が発生し、約1300人が犠牲となった大規模震災。
1917年1月20日、インドネシア・バリ島を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。 強い揺れは島内全域に達し、多くの家屋が倒壊しました。 当時の建築技術の限界もあり、被害は甚大でおよそ1300人が命を落としたと推定されます。 地震後には余震や土砂崩れも相次ぎ、救援活動は困難を極めました。 この災害はバリ島の地域社会に深い傷跡を残し、防災意識の向上を促す契機となりました。
1917年 インドネシア バリ島 M
1918年

大正7年豪雪により、山形県朝日村(現・鶴岡市)の大鳥鉱山で雪崩が発生。死者154人。

山形・大鳥鉱山で豪雪による雪崩が発生し、154人が犠牲となった惨事。
1918年1月20日、大正7年豪雪の影響で山形県朝日村(現・鶴岡市)の大鳥鉱山で雪崩が発生しました。 坑道や住居が雪に埋まり、作業員や家族を含む154人が死亡しました。 当時は豪雪への備えが不十分で、救助活動は雪崩の危険と極寒の中で難航しました。 地域社会は深い悲しみに包まれ、冬季山岳地帯の安全対策見直しが課題となりました。 この災害は後の鉱山防災や豪雪対策強化の出発点となったともいわれています。
1918年 山形県 朝日村 鶴岡市
1924年

阪神伝法線(現・阪神なんば線)の伝法駅〜大物駅間が開業。

阪神伝法線の伝法駅から大物駅間が開業し、大阪・神戸間の鉄道網が強化。
1924年1月20日、阪神電気鉄道の伝法駅から大物駅間が開業しました。 この区間は現在の阪神なんば線の前身であり、大阪市西部と神戸市を結ぶ重要な路線です。 開業により工業地帯や市街地のアクセスが向上し、地域経済の発展に寄与しました。 運行開始当初は蒸気機関車が使用され、その後電化や直通運転の拡大で利便性が高まりました。 現在も沿線には商業施設や住宅地が広がり、通勤・通学路線として活躍しています。
1924年 阪神 阪神なんば線 伝法駅 大物駅
1924年

第一次国共合作が成立。

中国国民党と共産党による第一次国共合作が成立し、国民革命の原動力となった。
1924年1月20日、広州で国民党(KMT)と中国共産党(CCP)の第一次国共合作が正式に成立しました。 両党は軍事的・政治的協力を通じて北伐を目指し、中国統一を図ることを合意しました。 この協力はソビエト連邦の支援を受けており、共産党から革命幹部の教育も行われました。 国共合作はその後の北伐戦争を進展させ、北京政府打倒の契機となります。 しかし内部対立や路線の違いにより、後に破綻し国共内戦へとつながっていきました。
1924年 第一次国共合作
1925年

日ソ基本条約が締結される。

日本とソビエト連邦の間で基本的な外交関係を定めた重要な条約が締結された日です。
1925年1月20日、日本とソビエト連邦は国交樹立に向けた基本的な外交関係を定める「日ソ基本条約」を締結しました。 この条約では国境画定や在留日本人の帰還、両国の主権尊重などが取り決められ、平和的解決を目指した内容が盛り込まれています。 第一次世界大戦後の混乱期における条約締結は、極東地域の安定を図る重要な一歩となりました。 一方で、その後の国際情勢変化により条約履行は困難を極め、実効性が問われる局面もありました。 今日では日ソ関係史を考える上で欠かせない歴史的文書として高く評価されています。
1925年 日ソ基本条約
1936年

エドワード8世がイギリス国王に即位。

エドワード8世がイギリス王位に即位し、後の退位劇の幕開けとなった日です。
1936年1月20日、ジョージ5世の長男エドワード8世がイギリス国王に即位しました。 しかしその在位期間はわずか11か月という異例の短さとなります。 彼の離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚問題が大きく影を落としました。 即位演説では国民統合と平和維持への意志を示しましたが、王室内外で波紋を呼びました。 この出来事は近代イギリス王室史における象徴的な事件として語り継がれています。
1936年 エドワード8世 イギリス 国王