慶長19年12月19日
大坂冬の陣で和議が成立する。
大坂冬の陣の講和により、豊臣氏と徳川氏の戦闘が一時的に停止しました。
1615年(慶長19年12月19日)、大坂冬の陣で徹底抗戦を続けていた豊臣秀頼と徳川家康の間で和睦が成立しました。
徳川方は大坂城内の一部堀を埋める条件で攻撃を中止し、戦火はしばし収束しました。
この和議は翌年の大坂夏の陣を迎える一時の休戦に過ぎず、最終的には豊臣氏滅亡へと繋がります。
関ヶ原の戦い以降続いた内乱の一区切りとなり、江戸幕府の支配体制が確立しつつありました。
和議の詳細は当時の史料や書簡に多く残されており、研究対象となっています。
1615年
慶長
12月19日
大坂冬の陣