1524年

イタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが北西航路発見のための航海に出発。

ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが北西航路発見を目指して航海を開始した。
1524年、イタリア出身の探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノはフランス王フランソワ1世の支援を受け航海に出発しました。 彼の目的はアジアへ至る新たな航路、北西航路の発見でした。 航海では大西洋を横断し、北米東海岸の探索を行いました。 ヴェラッツァーノは後にニューヨーク湾を発見し、その名を地名に残すことになります。 この航海は後世の大航海時代における地理的知見の拡大に寄与しました。
1524年 ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ 北西航路
1773年

ジェームズ・クックらがヨーロッパ人で初めて南極圏に到達。

ジェームズ・クック船長がヨーロッパ人として初めて南極圏に到達した。
1773年1月17日、イングランドの探検家ジェームズ・クックはHMSレゾリューションとディスカバリー号で南極探検を行いました。 彼らは南緯71度10分近くまで進み、初めて南極圏に達した記録を残しました。 クックは過酷な氷海を航行し、氷山や氷棚を間近に観測しました。 この探検は南極大陸への到達には至りませんでしたが、以後の南極探検への道を開きました。 クックの航海は極地探検史における重要なマイルストーンです。
1773年 ジェームズ・クック 南極圏
1873年

地質学者で鉱山技師のベンジャミン・スミス・ライマンが日本に到着。ライマンは、東京芝にあった開拓使仮学校(札幌農学校の前身)において教鞭をとった。

地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンが開拓使仮学校で教鞭を取るため来日した。
1873年1月17日、アメリカの地質学者かつ鉱山技師であるベンジャミン・スミス・ライマンが来日しました。 彼は北海道開拓史の一環として設立された開拓使仮学校で地質学や鉱山学を教えました。 この仮学校は後に札幌農学校(現北海道大学農学部)の前身となりました。 ライマンの教育と調査は北海道の資源開発と農業振興に大きく貢献しました。 彼の業績は日本の近代的な地質・鉱業研究の礎を築きました。
ベンジャミン・スミス・ライマン 札幌農学校
1912年

イギリスのロバート・スコットらが南極点に到達。ロアール・アムンセンの南極点到達の約1か月後。

ロバート・スコット率いる探検隊が南極点に到達した。
1912年1月17日、イギリスの南極探検家ロバート・スコットらが南極点に到達しました。 これはノルウェーのロアール・アムンセンが12月14日に達成した後約1ヶ月遅れての到達でした。 スコット隊は帰路の極寒と食糧不足により全員が命を落とす悲劇的な結末を迎えました。 この探検は冒険と科学調査を兼ね、南極の地質や気象データ収集にも寄与しました。 スコットの記録は今も探検史における勇気の象徴とされています。
1912年 ロバート・スコット 南極点 ロアール・アムンセン
1920年

ワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOF をはじめた。国営放送の嚆矢。

海軍省がワシントンD.C.で娯楽音楽放送NOFを開始し、国営放送の先駆けとなった。
1920年1月17日、海軍省はアナコスティア(Anacostia)の海軍飛行場から娯楽音楽放送NOFを開始しました。 出力は約1キロワットで、当時としては大規模な無線放送でした。 この放送は民間向けに音楽やニュースを提供し、米国初の国営放送の一つとされています。 後にNBCなど民間放送の発展にも影響を与え、ラジオ時代の幕開けとなりました。
1920年 ワシントンD.C. アナスコティア 海軍飛行場 娯楽音楽放送 NOF
1955年

アメリカ海軍の原子力潜水艦ノーチラスが、史上初となる原子力による航行を行う。

1955年1月17日、米海軍の原子力潜水艦ノーチラスが史上初の原子力航行を成功させました。
ノーチラス(USS Nautilus)は世界初の原子力潜水艦として1954年に進水し、1955年1月17日に原子炉動力のみでの航行を実施しました。従来のディーゼル潜水艦と比べて行動限界が大幅に拡大し、水中で長期間の潜航が可能となりました。この技術革新は冷戦時代の海軍戦略を大きく変え、原子力潜水艦の時代を切り開きました。ノーチラスはその後、北極海航行など数々の記録的航海を行い、潜水艦の運用概念に革命をもたらしました。
1955年 アメリカ海軍 ノーチラス