1900年

凸版印刷創業。

日本の総合印刷企業・凸版印刷が創業された。
1900年1月17日、日本で凸版印刷株式会社が設立されました。 創業当初は書籍や新聞の活版印刷を手掛け、やがて写真製版やオフセット印刷など最新技術を取り入れました。 戦前から戦後にかけて事業を拡大し、日本有数の印刷・情報ソリューション企業へ成長しました。 現在では商業印刷だけでなくパッケージングや電子部品など多岐にわたる事業を展開しています。
1900年 凸版印刷
1927年

日本ゼネラル・モータース設立。

日本ゼネラル・モータースが設立され、日本でGM車の生産を始めた。
1927年1月17日、日本ゼネラル・モータース(JGM)が設立されました。 ゼネラル・モーターズ社と日本企業の合弁により、シボレー車など米国製自動車の組立生産を行いました。 本社は神戸に置かれ、日本市場へのアメリカ自動車輸入の先駆けとなりました。 世界恐慌の影響で数年後に事業は縮小されましたが、日本の自動車産業発展の一端を担いました。
1927年 日本ゼネラル・モータース
1943年

戦費捻出のためタバコの大幅値上げが実施される。金鵄(ゴールデンバット)が1.5倍に値上がりした様は、唱歌「紀元二千六百年」の替え歌「金鵄あがって15銭」として広まった。

戦費調達の一環として1943年1月17日、タバコの大幅値上げが実施されました。ゴールデンバットは価格が1.5倍になり、庶民の生活に影響を与えました。
第二次世界大戦の激化に伴い、日本政府は戦費捻出のため国内消費品であるタバコの増税を決定しました。1943年1月17日から適用された価格改定では、人気銘柄「金鵄(ゴールデンバット)」が従来の10銭から15銭へ引き上げられました。この値上げは人々の間で大きな話題となり、当時の唱歌「紀元二千六百年」の替え歌「金鵄あがって15銭」で皮肉交じりに歌われました。増税は政府の財政を一時的に改善しましたが、庶民の生活負担を増加させ、戦時下の物資不足と相まって不満が高まりました。最終的には他の一般消費品の価格にも波及し、戦時経済下の消費行動に変化をもたらしました。
1943年 タバコ ゴールデンバット 紀元二千六百年
1979年

第二次オイルショック。国際石油資本が日本への原油の供給量の削減を通告。

1979年1月17日、第二次オイルショックが勃発し、国際石油資本が日本向け原油供給の削減を通告した。
1978年のイラン革命による原油生産の混乱が発端となり、世界的な供給不足が深刻化。 石油輸出国や大手石油企業が日本市場への原油供給削減を通知。 国内では燃料不足や灯油、ガソリンの供給制限、価格高騰が発生し、経済に大きな打撃。 省エネルギー対策や石油備蓄の拡充が急務とされ、その後のエネルギー政策転換に影響を与えた。
第二次オイルショック 国際石油資本
2006年

ライブドア・ショック。前日のライブドア本社などへの強制捜査を受け、ライブドア関連の株価が大幅に下落。

ライブドア本社などへの強制捜査を受け、関連株が急落し市場に動揺をもたらした。
2006年1月17日、証券取引等監視委員会と検察庁によるライブドア本社への強制捜査を受け、東京株式市場でライブドア関連株が一気に下落した。この出来事は『ライブドア・ショック』と呼ばれ、市場の過熱感を一気に冷まし、日本の企業統治や市場透明性に関する議論を喚起した。株価は一時30%以上下落し、他銘柄への波及も懸念された。
2006年 ライブドア・ショック ライブドア
2019年

日立製作所が、英西部ウェールズで計画してきた原発建設を凍結し、事業を中断すると発表。

2019年1月17日、日立製作所は英ウェールズ西部で計画してきた原子力発電所建設を凍結し、事業を中断すると発表しました。
2019年1月17日、日立製作所は英ウェールズのアングルシー島で進めてきた「Wylfa Newydd」原子力発電所建設計画を凍結すると発表しました。 プロジェクトは東芝・日立連合で推進されていましたが、コスト増大や英国政府による価格保証の不透明さが理由とされます。 計画凍結により、地元経済の雇用創出期待や英国の原子力新設戦略に影響が及ぶことが懸念されました。 日立は今後、英政府との交渉を続ける一方で、プロジェクト再開の可能性を検討するとしています。 この決定は欧州における原子力投資の難しさを示す事例として注目されました。
2019年 日立製作所