1961年

神奈川県横浜市戸塚区の秋葉踏切で、ダンプカーと東海道本線上り電車が衝突して脱線。そこへ横須賀線下り電車が侵入して脱線車両と衝突する二重衝突事故が発生。乗員乗客9人が死亡、13名が重傷、83人軽傷。

1961年1月17日、横浜市戸塚区の踏切で列車2編成とダンプカーが衝突する重大事故が発生しました。
神奈川県横浜市戸塚区の秋葉踏切で、東海道本線上り電車とダンプカーが正面衝突し脱線しました。続いて横須賀線下り電車が進入し、脱線した車両と衝突する二重衝突事故となりました。9名が死亡、13名が重傷、83名が軽傷を負い、戦後の鉄道事故としても被害規模が大きい事故となりました。事故原因の調査では、踏切信号の誤作動や車両運行管理の不備が指摘されました。この惨事を受け、踏切安全対策の強化や警報装置の改良が進められ、鉄道の安全運行確保につながりました。
神奈川県 横浜市 戸塚区 ダンプカー 東海道本線 脱線 横須賀線
1966年

水素爆弾を搭載したアメリカ空軍のB 52爆撃機がスペインのパロマレス沖でKC 135空中給油機と衝突、水爆を搭載したまま墜落。(パロマレス米軍機墜落事故)

1966年1月17日、アメリカ空軍のB-52爆撃機がスペイン・パロマレス沖でKC-135空中給油機と衝突し、水素爆弾を搭載したまま墜落した事故。
アメリカ空軍B-52戦略爆撃機が空中給油中にKC-135と衝突し、墜落。 機体にはB28型水素爆弾4発を搭載しており、うち1発が地中に埋没、3発は回収されたが2発はプルトニウム汚染を引き起こした。 事故後、海中に落ちた水爆を捜索・回収する米海軍の作戦が実施された。 スペインとの協力で汚染除去が行われ、核兵器運用の安全管理の重要性が再認識された。 環境への影響を巡る議論を呼び、米空軍は核兵器事故に関する透明性向上を迫られた。
1966年 水素爆弾 アメリカ空軍 B-52 爆撃機 スペイン KC-135 空中給油機 パロマレス米軍機墜落事故
1971年

精進湖で氷が割れ、スケート客9人が死亡。

1971年1月17日、山梨県精進湖の氷上でスケートをしていた客の乗った氷が割れ、9人が湖に転落して死亡した。
冬季の凍結が不十分だった精進湖で、多くの市民が氷上スケートを楽しんでいた。 しかし氷の厚さが安全基準に満たず、集団で乗った際に亀裂が入り、一気に湖に転落した。 事故現場は水深も深く、救助が遅れたため被害が拡大したとされる。 この事故を受けて湖上レジャーの安全管理や氷厚の確認の重要性が強調されるようになった。
1971年 精進湖 スケート
1973年

伊豆箱根鉄道大雄山線小田原駅で上り電車が止まり切れず、車止めを乗り越えホームに達する事故。50人が重軽傷。

1973年1月17日、伊豆箱根鉄道大雄山線の小田原駅で上り電車が減速に失敗し、車止めを乗り越えてホームに突入。約50人が重軽傷を負った。
伊豆箱根鉄道大雄山線の上り列車が、小田原駅到着時に速度を止めきれず車止めを越えて進入。 ホームに入っていた乗客や駅員らに衝突し、多数が負傷する大事故となった。 原因はブレーキ操作の不備や技術的要因とされ、安全マージンの不足が指摘された。 事後に運転規則の見直しやブレーキ装置の強化など再発防止策が講じられた。
伊豆箱根鉄道大雄山線 小田原駅
1994年

ロサンゼルスでマグニチュード6.8の地震が発生。(ノースリッジ地震)

ロサンゼルス北部郊外でマグニチュード6.8のノースリッジ地震が発生した。
1994年1月17日、米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のノースリッジでマグニチュード6.8の地震が発生し、甚大な被害をもたらした。多数の住宅や高架道路が倒壊し、50人以上が死亡、数千人が負傷した。被災地では余震が続き、道路網やインフラの復旧に長期を要した。ノースリッジ地震は米国史上最も深刻な都市部地震災害の一つとされ、耐震基準の強化を促す契機となった。
1994年 ロサンゼルス マグニチュード 地震 ノースリッジ地震
1995年

阪神・淡路大震災: 午前5時46分に兵庫県南部でマグニチュード7.3の地震が発生(兵庫県南部地震)、京阪神に大きな被害が出る。

兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、京阪神地域で甚大な被害が出た。
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北西沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。神戸市を中心に住宅やビルが倒壊し、道路や鉄道網も寸断された。6,000人以上が死亡、数万棟の建物が全壊・半壊し、日本の防災対策や都市計画に大きな見直しを迫った歴史的災害である。
1995年 阪神・淡路大震災 兵庫県南部地震 京阪神
2002年

コンゴ民主共和国東部のニーラゴンゴ山が噴火。45人が死亡し、近隣住民約35万人が避難。

コンゴ東部の火山ニーラゴンゴが噴火し、大規模な被害と避難が発生した。
2002年1月17日、コンゴ民主共和国東部にある活火山ニーラゴンゴ山が噴火した。火砕流や溶岩流が周辺集落を襲い、45人が命を落とし、約35万人が避難を余儀なくされた。地元住民の生活基盤が壊滅的打撃を受け、国際的な人道支援が展開された。
2002年 コンゴ民主共和国 ニーラゴンゴ山
2008年

ブリティッシュ・エアウェイズ38便事故。

2008年1月17日、ロンドン発北京行きのブリティッシュ・エアウェイズ38便がヒースロー空港の滑走路手前で着陸に失敗した航空事故。 燃料システムのトラブルが原因とされています。 乗員乗客は軽傷を負いましたが、死者は出ませんでした。
2008年1月17日、ロンドン・ヒースロー空港に着陸進入中のブリティッシュ・エアウェイズ38便(ボーイング777-200ER)が滑走路手前約300メートルで失速し地上に衝突した。 調査の結果、低温環境下で燃料パイプ内に氷結した水分が燃料フィルターを詰まらせ、両エンジンへの燃料供給が阻害されたことが判明した。 機体の前脚が破損し、客室床の一部がはがれるなどの損傷が発生したが、152名の乗員乗客は致命傷を免れた。 英国運輸安全委員会(AAIB)は原因究明と再発防止策として、燃料システム設計の見直しと運用マニュアルの改定を勧告した。 この事故を受け、航空業界では寒冷地での燃料管理基準が強化されました。 この出来事は航空安全対策の重要性を再認識させる契機となりました。
2008年 ブリティッシュ・エアウェイズ38便事故