1504年

ピウス5世

(1504 - 1572)

ローマ教皇

ローマ教皇
16世紀の教皇で、トリエント公会議の決定を実行し、カトリック教会の改革を推進した。レパントの海戦でイスラム勢力を阻止した功績でも知られる。
1504年にイタリアで生まれ、1566年にローマ教皇に選出された。 トリエント公会議の決議に基づき、教会法の整備や聖職者の規律強化を行った。 1571年のレパントの海戦ではキリスト教連合艦隊を結成し、オスマン帝国の侵攻を食い止めた。 典礼叙階聖務(トリデンティン・ミサ)を制定し、以後のカトリック典礼の基礎を築いた。 1572年に死去後、後に聖人に列せられた。
1504年 ピウス5世 ローマ教皇 1572年
1560年

ギャスパール・ボアン

(1560 - 1624)

植物学者

植物学者
スイス生まれの植物学者で、植物の分類学に先駆的な研究を行った。『Pinax Theatri Botanici』は植物分類学の基礎文献とされる。
1560年、バーゼルに生まれる。 バーゼル大学で医学と植物学を学び、医師としてのキャリアを積む一方で植物研究を続けた。 1623年に出版した『Pinax Theatri Botanici』では、約6,000種の植物を体系的に分類した。 彼の分類法は後のリンネによる二名法の先駆となり、植物学の発展に大きく寄与した。 1624年に死去。
1560年 ギャスパール・ボアン 植物学者 1624年
1600年

ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ

(1600 - 1681)

劇作家、詩人

劇作家 詩人
スペイン黄金時代を代表する劇作家・詩人。代表作『人生は夢』などで知られ、哲学的・宗教的テーマを巧みに描いた。
1600年、マドリードに生まれる。 バロック期のスペイン演劇を牽引し、『人生は夢』『ザラメア市長』など数多くの戯曲を執筆した。 作品には運命や自由意志、信仰のテーマが深く織り込まれ、哲学的思索が顕著である。 宮廷劇団の一員として王室の保護を受け、多方面で活躍した。 1681年に死去。彼の作品は現代でも上演され続けている。
1600年 ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ 劇作家 詩人 1681年
慶長5年12月13日

相良頼寛

(1701 - 1667)

肥後国人吉藩主

肥後国人吉藩主
江戸時代初期の肥後国人吉藩主で、相良氏の当主として藩政改革に取り組んだ。
1701年(慶長5年12月13日)に生まれる。 幼少期に家督を継ぎ、人吉藩の藩政を担った。 財政再建や治水事業を推進し、領内の安定化に貢献した。 藩校創設など教育振興にも尽力したと伝えられる。 1667年に死去した。
1701年 慶長 12月13日 相良頼寛 肥後国 人吉藩 1667年
1612年

トーマス・フェアファクス

(1612 - 1671)

軍指揮官

軍指揮官
イングランド内戦期のパーラメント派総司令官。ニューモデル軍を率いて王党派との戦いに勝利した。
1612年にイングランドで生まれる。 貴族の家系に育ち、1645年にニューモデル軍の総司令官に任命された。 マーストン・ムーアの戦いなど決定的勝利を収め、議会派の優位を確立した。 内戦後は国政にも関与し、護国卿(Lord Protector)として短期間統治にも携わった。 1671年に死去。軍事的才能と高潔な人柄で知られる。
1612年 トーマス・フェアファクス 1671年
元禄15年12月1日

島津忠雅

(1703 - 1784)

日向国佐土原藩主

日向国佐土原藩主
江戸時代中期の日向国佐土原藩主。島津氏分家として藩政を統治し、領内の発展に尽力した。
1703年(元禄15年12月1日)に生まれる。 佐土原藩主として藩政を担い、財政改革や治水事業を推進した。 藩校設立や学問奨励に努め、藩士の教養向上を図った。 領内の民生安定に尽力し、産業振興政策を展開した。 1784年に死去。領地経営の手腕が高く評価された。
1703年 元禄 12月1日 島津忠雅 日向国 佐土原藩 1784年
1706年

ベンジャミン・フランクリン

(1706 - 1790)

政治家、物理学者

政治家 物理学者
アメリカ独立の指導者の一人で、政治家・物理学者として活躍。雷電研究や外交交渉でも功績を残した。
1706年、ボストンで生まれる。 印刷業者として成功し、ベンジャミン・フランクリン協会を創設。 雷雨実験で避雷針を発明し、電気の本質解明に寄与した。 アメリカ独立宣言の起草委員として署名し、国際舞台でフランスの支援を獲得。 1790年にフィラデルフィアで死去。多岐にわたる業績で「多才の象徴」と呼ばれる。
1706年 ベンジャミン・フランクリン 政治家 物理学者 1790年
1732年

スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ

(1732 - 1798)

ポーランド・リトアニア王

ポーランド・リトアニア王
ポーランド・リトアニア共和国最後の国王。啓蒙専制君主として改革を試みたが、分割の波を止められなかった。
1732年に貴族サガイツ家に生まれる。 1764年にポーランド・リトアニア連合王として即位し、改革を推進した。 憲法制定議会を指導し、1791年にはヨーロッパ初の近代憲法を制定。 ロシア・プロイセン・オーストリアによる三度の分割で王国は消滅し、1798年に亡命先で死去。 ポーランド国家意識の象徴として後世に記憶される。
1732年 スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ ポーランド・リトアニア王 1798年
1734年

フランソワ=ジョセフ・ゴセック

(1734 - 1829)

作曲家

作曲家
フランスの古典派作曲家。交響曲や室内楽を多数作曲し、フランス音楽界を牽引した。
1734年にフランスで生まれる。 バロックから古典派への過渡期に活躍し、多くのオーケストラ曲を作曲した。 ミシン音楽院創設に参画し、音楽教育の普及に貢献した。 交響詩やオペラなど多彩な作品を残し、フランス音楽の近代化を促進。 1829年に死去。後世の作曲家に影響を与えた。
1734年 フランソワ=ジョセフ・ゴセック 作曲家 1829年
1771年

チャールズ・ブロックデン・ブラウン

(1771 - 1810)

小説家

小説家
アメリカ初期の小説家で、ゴシック小説の先駆者。『ワークス・オブ・チャールズ・ブロックデン・ブラウン』などで知られる。
1771年にペンシルベニアで生まれる。 米国内で最初期に小説を執筆し、ホラーやサスペンス要素を取り入れた。 代表作『オルトン・ホールの秘密』や『ナタリー』によりゴシック文学の基礎を築いた。 出版業にも携わり、文学批評や論説を発表した。 1810年にニューブランズウィックで死去。アメリカ文学史における重要人物。
1771年 チャールズ・ブロックデン・ブラウン 小説家 1810年
安永5年12月6日

島津斉宣

(1774 - 1841)

薩摩国鹿児島藩主

薩摩国鹿児島藩主
江戸時代後期の薩摩藩主として藩政を担った大名。
島津家の家督を継ぎ、薩摩国(現在の鹿児島県)の領国経営を行った。 幕府との関係を維持しつつ、藩政改革や財政再建に取り組んだ。 外国情勢に関心を寄せ、西洋技術の導入を模索するなど先見の明も示した。 地域の文化・教育振興にも力を注ぎ、領民生活の向上に尽力した。 1841年にその生涯を閉じ、後に続く藩政に影響を与えた。
1774年 安永 12月6日 島津斉宣 薩摩国 鹿児島藩 1841年
1811年

ノートン1世

(1811 - 1880)

アメリカ合衆国初代皇帝

アメリカ合衆国初代皇帝
19世紀にサンフランシスコで自称『アメリカ皇帝』を名乗った風変わりな人物。
ジョシュア・エイナーベリー・ノートンとして生まれ、1859年に自らを『アメリカ合衆国皇帝』と宣言した。 サンフランシスコの住民から愛され、公共イベントでは公式布告を発行した。 諸国政府に支払い停止や鉄道建設などの布告を出し、ユニークな社会現象となった。 彼の風変わりな行動は地域文化の一部となり、死後も記念碑が建てられるなど伝説化した。 1880年に亡くなるまで、市民から親しみを込めて迎えられた存在だった。
1811年 ノートン1世 アメリカ合衆国 皇帝 1880年