治承4年12月28日

南都焼討。平重衡らが東大寺・興福寺などの仏教寺院を焼き払う。

平重衡ら平氏軍が源平合戦の一環として南都の東大寺や興福寺を襲撃し、焼討を敢行しました。
1181年12月28日(治承4年12月28日)、平重衡を中心とする平氏軍は南都(現奈良)の仏教寺院を襲撃しました。この『南都焼討』では東大寺や興福寺などが焼失し、多くの文化財が失われました。背景には源氏と平氏の権力闘争や僧兵の動向への警戒がありました。焼討は両軍の対立を一層激化させ、治承・寿永の乱(源平合戦)を深刻化させる契機となりました。現在、復元された寺院群が往時の栄華をしのばせています。
1181年 治承 12月28日 南都焼討 平重衡 東大寺 興福寺
1919年

ドイツ革命後のベルリンでドイツ共産党の武装蜂起が失敗。

ドイツ革命後の混乱期にベルリンでドイツ共産党が蜂起を試みたが、鎮圧され敗北した事件。
1919年のドイツ革命終結後、ベルリンでドイツ共産党(スパルタクス団)が武装蜂起を試みたが、政府側とフライコールにより鎮圧された。ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトらが指導に関与し、多数の死傷者が出た。この蜂起は帝政打倒後の権力移行を巡る争いの一環であり、ドイツ共産党の影響力拡大を図ったものだった。鎮圧後、労働者運動は厳しく弾圧され、共産党は地下活動に移行した。
1919年 ドイツ革命 ベルリン ドイツ共産党
1974年

南ベトナム海軍の哨戒艦リ・トン・キェトが哨戒中、甘泉島に中国国旗が掲揚されていることを発見。リ・トン・キェトは中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙って威嚇射撃を行った。西沙諸島の戦いの端緒。

1974年1月15日、南ベトナム海軍哨戒艦が西沙諸島の中国旗掲揚を発見し威嚇射撃を行い、西沙諸島の戦いの端緒となった。
1974年1月15日、南ベトナム海軍の哨戒艦リ・トン・キェトが西沙諸島(パラセル諸島)の甘泉島で中国国旗の掲揚を発見しました。艦は中国漁船に退去を命じ、陸上の国旗を狙って威嚇射撃を行いました。この一連の行動が両国間の緊張を高め、いわゆる「西沙諸島の戦い」のきっかけとなりました。最終的に中国側が島を実効支配し、その後の南シナ海での領有権紛争にも影響を与えました。地域の軍事的緊張は冷戦時代のアジアにおける重要な一幕とされています。
1974年 中国国旗 西沙諸島の戦い
2019年

ケニアの首都、ナイロビ市内の複合施設が武装組織の襲撃を受け21人が死亡。

ケニア・ナイロビの複合施設が武装組織に襲撃され、21人が死亡したテロ事件。
2019年1月15日、ケニアの首都ナイロビにある高級ショッピングセンターがアルシャバブとみられる武装組織に襲撃。 銃撃戦や人質事件が発生し、警察や特殊部隊が突入作戦を展開。 最終的に21人が死亡、多数の負傷者が出ました。 この事件はケニアにおけるイスラム過激派の脅威を改めて浮き彫りにしました。 政府は警備体制の強化とテロ対策の国際協力を一層推進する方針を打ち出しました。 事件後、ショッピングセンターの安全対策見直しも進められました。
2019年 ケニア ナイロビ