元禄8年12月9日

赤根屋半七と遊女の三勝が、大阪千日寺の墓地で心中して果てる。二人のはかない恋は、歌舞伎の演目「三勝半七艶容女舞衣」として劇化され、現在も上演されている。

大阪千日寺の墓地で赤根屋半七と遊女・三勝が心中し、その悲恋は歌舞伎化される。
1696年1月13日、大阪の千日寺墓地で材木商の次男・赤根屋半七と遊女の三勝が心中して果てる。 身分差や商家の家督問題などから許されぬ恋とされ、二人は愛憎入り混じる運命に翻弄された。 この物語は近松半二らによって浄瑠璃・歌舞伎『三勝半七艶容女舞衣』として上演される。 鮮やかな衣装や舞踊を取り入れた演目は江戸時代から人気を博し、現在も上演が続く。 はかない恋と悲劇性が庶民の心を捉えた代表的な心中ものの一つとされる。
1696年 元禄 12月9日 艶容女舞衣
文政10年11月27日

加賀前田家の江戸藩邸に御守殿門(現在の東大赤門)が建立される。

加賀前田家江戸藩邸の御守殿門として、現在の東京大学赤門が建立される。
1828年1月13日、加賀藩主前田斉広の江戸上屋敷に御守殿門(現在の東京大学赤門)が建造。 門は漆塗りの朱色と黒漆塗りの屋根が特徴で、武家門建築の優美さを示す構造となった。 維新後、東京大学の正門として使用されるようになり、学問の象徴として親しまれる。 赤門は重要文化財に指定され、東京大学の象徴的ランドマークとして観光客にも人気。 加賀前田家の格式と江戸時代建築の美を今に伝えている。
1828年 文政 11月27日 加賀 前田家 御守殿門 東大赤門
1936年

日劇ダンシングチーム (NDT) が初公演。

日本劇場で結成されたダンスチーム「日劇ダンシングチーム」が初公演を行いました。
1936年1月13日、東京・日比谷の日劇(日本劇場)で初めて舞台に登場した日劇ダンシングチーム(NDT)は、当時としては画期的なフォーメーションダンスを取り入れた公演を披露しました。 数十名規模の若いダンサーが息の合った群舞を特徴とし、戦前の日本における舞台芸術のあり方に新しい風を吹き込みました。 華やかな照明と音楽、大規模なダンスシーンは大衆の人気を博し、その後のミュージカルやレビュー文化の発展に大きな影響を与えたとされます。
1936年 日劇ダンシングチーム
1945年

セルゲイ・プロコフィエフの交響曲第5番がモスクワ音楽院で初演。

プロコフィエフの交響曲第5番がモスクワで初演され、称賛を浴びました。
1945年1月13日、ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフによる交響曲第5番がモスクワ音楽院大ホールで初演されました。 この作品は第二次世界大戦の終結を目前に控えた時期に書かれ、「平和と勝利の賛歌」として位置づけられています。 4楽章からなる大規模な編成で、鮮烈なリズムと力強い旋律が特徴的です。 初演は大成功を収め、戦後ソ連音楽界を代表する交響曲の一つとして高く評価されました。
セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第5番 モスクワ音楽院
2017年

京都府妙伝寺の「半跏思惟像」について、金属成分調査の結果、7世紀に朝鮮半島で作られた可能性が高いと発表。

妙伝寺が所蔵する半跏思惟像が7世紀の朝鮮半島製の可能性を示す調査結果が発表されました。
2017年1月13日、京都府にある妙伝寺の半跏思惟像について、 文化財保存研究機関が金属成分の分析調査を実施。 銅や鉛などの含有比率から、統一新羅期など朝鮮半島の7世紀製作の可能性が高いと結論付けました。 従来は日本国内で制作されたと考えられていたが、国際的な交流や職人移動の実態を示唆します。 この発表は日本の仏教美術の起源解明に新たな視点を提供しました。
2017年 京都府