1528年

スウェーデン王グスタフ1世が戴冠。

1528年、スウェーデン王グスタフ1世が戴冠し、新たな支配体制ヴァーサ朝が始まった。 デンマークからの独立を確立し、近代スウェーデン国家の礎を築きました。
グスタフ1世(ヴァーサ)は、1523年の反デンマーク蜂起を制し、スウェーデンの実権を掌握しました。 1528年1月12日、ウプサラ大聖堂で正式に戴冠し、ヴァーサ朝を開きました。 彼の即位は国内の中央集権化を推進し、王権強化の礎となりました。 また、宗教改革を支援してルター派を国教とし、教会財産を没収して財源を確保しました。 これによりスウェーデンは独立国家として安定し、以後200年以上続く王朝の土台が築かれました。
1528年 スウェーデン グスタフ1世
元治元年12月15日

高杉晋作ら長州藩諸隊が功山寺で挙兵。(功山寺挙兵)

1865年(元治元年12月15日)、高杉晋作ら長州藩の若手武士が萩の功山寺で挙兵しました。 倒幕運動を加速させた歴史的な一幕です。
幕末の長州藩では尊王攘夷運動が盛り上がりを見せていました。 高杉晋作は薩摩藩と連携して幕府打倒を目指し、功山寺にて藩主への討幕決起を宣言しました。 この挙兵は短期間で幕府軍を撃退し、長州藩の実権を握る契機となりました。 以後、長州藩は藩政改革を推進し、倒幕運動で中心的役割を果たしていきます。 幕末維新の流れを決定づけた重要な出来事とされています。
1865年 元治 12月15日 高杉晋作 長州藩諸隊 功山寺 功山寺挙兵
1872年

ヨハンネス4世がエチオピア皇帝に即位。

1872年、ヨハンネス4世がエチオピア皇帝に即位し、国内の統合と防衛に尽力しました。 外敵からの侵攻に対抗し、近代化の基礎を築いた人物です。
ヨハンネス4世(本名:カス・マスファ)は伝統的なアムハラ王家の出身でした。 1月12日にラリベラで戴冠し、帝国全土の統一を進めました。 当時、イタリアの南進を警戒し、強固な軍備を整えました。 リワイア戦争ではオロモ族やムスリム勢力と抗戦し、王権の安定化を図りました。 国内インフラ整備や近代教育の導入にも意欲を見せ、近代エチオピア建設の基礎を築きました。
1872年 エチオピア皇帝
1874年

板垣退助らが愛国公党を結成。

1874年、板垣退助ら自由民権派が愛国公党を結成し、国会開設を求める運動を本格化させました。 日本初の全国組織的政治団体の誕生です。
明治政府は欧米列強に対抗するため近代国家体制の確立を急いでいました。 板垣退助や片岡健吉らは国会開設・憲法制定を目指し、東京で愛国公党を設立しました。 この党は新聞を活用した宣伝活動や集会を開き、全国的な自由民権運動を牽引しました。 政府は警察権を強化し弾圧を加えましたが、運動は全国に拡がり議会制民主主義の芽を育てました。 日本の近代政治史における重要な転換点となりました。
1874年 板垣退助 愛国公党
同治13年12月1日

光緒帝が清の皇帝に即位。

1875年(同治13年12月1日)、光緒帝が清朝の皇帝に即位し、政治の若返りが期待されました。 しかし実権は西太后が握り、改革は容易ではありませんでした。
光緒帝(愛新覚羅載淳)はわずか4歳で即位し、儀礼上の皇帝として戴冠式が行われました。 実権は継母の西太后が掌握し、政治は引き続き保守派が主導しました。 後年、光緒帝は光緒新政を主導しようと試みましたが、保守派の反発で頓挫します。 この即位により中国は列強の圧力下でさらなる改革の必要性が浮き彫りとなりました。 清末の混乱期を象徴する出来事の一つです。
1875年 同治 12月1日 光緒帝
1895年

イギリスでナショナル・トラストが発足。

1895年、英国で自然と文化遺産を保護するためのナショナル・トラストが発足しました。 民間主導の保護運動の先駆けとなった組織です。
ナショナル・トラストは保全すべき自然景観や歴史的建造物の購入・管理を目的に設立されました。 創設者は大規模な土地所有者や学者らで、観光客の増加と産業化による破壊を懸念していました。 1880年代からの上層階級による草案作成を経て、1895年に正式に法人格を取得しました。 それ以降、英国全土で景観や遺産地の取得・管理活動を展開し、後の世界各地の類似団体にも影響を与えました。 現代でも登録建築物や自然保護区の維持管理において中心的役割を果たしています。
1895年 イギリス ナショナル・トラスト
1898年

日本で伊藤博文が第7代内閣総理大臣に就任し、第3次伊藤内閣が発足。

1898年、伊藤博文が第7代内閣総理大臣に就任し、第3次伊藤内閣を組閣しました。 日本議会政治の発展に大きな一歩です。
伊藤博文は憲法制定に携わった立法の父と称される政治家です。 1898年1月12日に内閣総理大臣に任命され、第3次伊藤内閣を発足させました。 この政権下で政党内閣が試行され、自由党などとの連立を模索しました。 しかし、政党政治の経験不足や派閥抗争により支持を失い、2月末に総辞職に追い込まれました。 当時の短命政権は日本議会政治の課題と可能性を浮き彫りにしました。
1898年 伊藤博文 内閣総理大臣 第3次伊藤内閣
1911年

オーストリア陸軍のレルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市高田)陸軍歩兵連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なう。

1911年、オーストリア軍のレルヒ少佐が新潟県高田で日本人将校に初めてスキーを指導しました。 日本におけるスキーの起源となった出来事です。
当時、レルヒ少佐は山岳戦術研究の一環としてスキー技術を日本に紹介しました。 1月12日、高田歩兵連隊で若手将校に対しスキーの基礎訓練を実施しました。 雪深い上越地方での訓練は試行錯誤の連続でしたが、後に陸軍山岳部隊の重要な戦術となりました。 この指導を契機に日本各地にスキー文化が広まり、冬季スポーツとして定着していきました。 現在では国内外で愛好者の多い国民的スポーツの一つとなっています。
1911年 オーストリア レルヒ少佐 新潟県 上越市 スキー
1914年

桜島で大噴火。大隅半島と陸続きになる。(大正大噴火)

1914年、桜島が大噴火し溶岩流により大隅半島と陸続きになりました。 日本有数の大規模火山噴火として知られています。
この噴火は大正3年1月12日に始まり、約8日間に渡って激しい噴火活動が続きました。 大量の火山灰と火砕流が周辺地域に降り注ぎ、農地や集落に甚大な被害をもたらしました。 溶岩流は有村溶岩流で、大隅半島と桜島を陸続きにし、新たな地形を形成しました。 被災者の避難や復興は容易ではなく、数年をかけた復旧工事が行われました。 現在でも定期的な噴火活動が続く活火山として防災上の注目を集めています。
1914年 桜島 大隅半島 大正大噴火
1915年

ロッキーマウンテン国立公園設置。

1915年、米国コロラド州にロッキーマウンテン国立公園が設置されました。 アメリカ西部の自然保護区創設の先駆けです。
ロッキーマウンテン国立公園はコロラド州の山岳地帯に広がる自然公園です。 1915年1月12日、国立公園法に基づき40番目の国立公園として指定されました。 雄大な山岳景観と氷河期の遺産を今に残す地質学的価値が高く評価されました。 設立以降、野生動物保護や訪問者向けのインフラ整備が進められ、観光名所として発展しました。 現在では年間数百万人が訪れる米国有数の人気国立公園となっています。
1915年 ロッキーマウンテン国立公園
1928年

大相撲実況ラジオ放送が開始。放送時間内に終了させるために仕切りに制限時間が設けられる。

1928年1月12日、ラジオで大相撲の実況中継が日本初放送された。取り組みを放送時間内に収めるため、仕切りに時間制限が設けられた。
1928年に日本で初めて大相撲の実況ラジオ放送が開始されました。これにより遠方の聴衆も試合をリアルタイムで楽しめるようになったのが大きな特徴です。放送時間内に収めるため、仕切りごとに制限時間が設けられたことは放送技術と興行運営の新たな試みでした。この制度はその後のスポーツ中継においても影響を与え、実況放送の発展を促しました。スポーツ文化とメディアの融合が始まった歴史的瞬間です。
1928年 大相撲 ラジオ
1930年

青森県八戸市で第1回日本スケート選手権大会開催。

1930年1月12日、青森県八戸市で第1回日本スケート選手権大会が開催された。
1930年に青森県八戸市で日本初のスケート選手権大会が開催されました。この大会は当時まだ普及途上にあったアイススケート競技の発展を目指すもので、多くの選手が参加しました。厳冬の地で繰り広げられた熱戦は国内競技レベルの底上げに寄与し、その後の国際大会への道を開く契機となりました。地元八戸市は競技場の整備を進め、冬季スポーツ振興に力を入れるきっかけとなりました。
1930年 青森県 八戸市 日本スケート選手権大会