1889年
ハーマン・ホレリスがタビュレーティングマシンの特許を取得。
ハーマン・ホレリスがパンチカード式タビュレーティングマシンの特許を取得し、統計処理の効率化に革新をもたらした。
1889年1月8日、アメリカの発明家ハーマン・ホレリスがパンチカード式タビュレーティングマシンの特許を取得した。
この装置はデータ集計を自動化し、統計処理の大幅な効率化を実現した。
特にアメリカ合衆国国勢調査で導入され、膨大な人口統計を短期間で処理した。
ホレリスの技術は後のコンピュータ開発の基礎となり、情報技術革命の先駆けとされる。
データ処理の歴史における画期的な成果として高く評価されている。
1889年
ハーマン・ホレリス
タビュレーティングマシン
1973年
ソ連の月探査機「ルナ21号」が打ち上げ。
ソ連が月探査機「ルナ21号」を打ち上げ、月面探査の新たな局面を開いた。
1973年1月8日、ソ連はバイコヌール宇宙基地から月探査機「ルナ21号」を打ち上げた。
同機は約2週間後に月面に着陸し、ロボット車両ルノホート2を展開して地形観測や土壌分析を実施した。
これにより月表面の詳しいデータが得られ、以後の探査機開発やミッション計画に大きく寄与した。
ルナ21号計画は、冷戦期におけるソ連の宇宙開発技術の高さを示した重要な一歩となった。
人類の月探査史において、精密観測を可能にした歴史的なミッションである。
1973年
ルナ21号
1985年
東京大学宇宙科学航空研究所がハレー彗星探査機「さきがけ」を打上げ。日本初の人工惑星となる。
日本初の深宇宙探査機「さきがけ」が打ち上げられ、日本の宇宙探査に新たな幕を開けた。
1985年1月8日、東京大学宇宙科学航空研究所(ISAS)はハレー彗星探査機「さきがけ」を打ち上げた。
日本が独自に開発した探査機としては初の本格的な宇宙ミッションであり、地球と太陽の間を探査する深宇宙機となった。
打ち上げ後の軌道投入や機器の動作確認が成功し、後にハレー彗星近傍へ接近観測を行った。
「さきがけ」の成果は、日本の宇宙探査技術の信頼性を高め、後続ミッションへの道を切り拓いた。
このプロジェクトは、国際的な宇宙科学コミュニティにおける日本の存在感を強めた。
1985年
東京大学
宇宙科学航空研究所
ハレー彗星
探査機
さきがけ
日本
惑星
1992年 ー 小惑星エゲリアが掩蔽し直径が分かった。
小惑星エゲリアによる掩蔽観測で、その直径が初めて正確に測定された。
1992年1月8日、小惑星エゲリアが恒星を掩蔽する現象が観測され、通過時間から直径が算出された。
この手法により、エゲリアのサイズや形状に関する詳細なデータが得られ、これまで不明だった物理的性質が明らかになった。
掩蔽観測は小天体研究において精度の高い測定手段とされ、以後の小惑星観測計画においても活用されている。
エゲリアは小惑星帯内でも比較的大型の天体であり、その特性解析は形成過程の理解に貢献した。
この成果は、天文学分野における地上観測技術の有効性を示すものとなった。
1992年
小惑星
エゲリア
掩蔽
直径
1993年
日本ビクター(現:JVCケンウッド)が家庭用ハイビジョンVTRの試作機を開発。
家庭用ハイビジョンVTRの試作機を日本ビクターが開発し、映像技術の新時代を切り拓いた。
1993年1月8日、日本ビクター(現JVCケンウッド)は家庭用ハイビジョンVTRの試作機を発表した。
従来の標準解像度を大きく上回る高精細映像記録を可能にしたこの機器は、次世代放送や映像制作の基盤技術として期待された。
テープメディアへのハイビジョン信号記録は技術的に高度な課題を伴い、磁気ヘッドや帯域制御技術などが大きく進化した。
ビクターの試作機は研究室レベルのプロトタイプだったが、実用化に向けた重要なマイルストーンとなった。
その後、ハイビジョンVTRは放送機器市場や業務用映像制作分野で本格導入されていった。
1993年
日本ビクター
JVCケンウッド
ハイビジョン
VTR
1994年
ワレリー・ポリャコフが宇宙ステーションミールに向かうためにソユーズTM 18で地球を出発。1995年3月22日に帰還するまでの437日は世界最長の宇宙滞在期間。
ワレリー・ポリャコフがミールに向けて出発し、437日間の宇宙滞在世界記録を樹立した。
1994年1月8日、ロシアの宇宙飛行士ワレリー・ポリャコフがソユーズTM-18で地球を出発し、ミール宇宙ステーションへ向かった。
このミッションは人体に及ぼす長期宇宙滞在の影響を調査するための実験で、最終的に437日に及ぶ滞在は世界最長記録となった。
ポリャコフの健康状態や生理学データは、骨密度や筋力、心理的ストレスなど多岐にわたり継続的にモニタリングされた。
得られたデータは国際宇宙ステーション(ISS)計画をはじめ、今後の長期有人ミッションの設計や運用に大きく寄与した。
1995年3月22日に帰還したポリャコフは、長期滞在技術のパイオニアとして宇宙開発史に名を刻んだ。
1994年
ワレリー・ポリャコフ
ミール
ソユーズTM-18
1995年
3月22日