武烈天皇8年12月8日

武烈天皇

(489 - 507)

第25代天皇

第25代天皇
第25代日本天皇。伝承や史料が乏しく、その実像はほとんど明らかになっていません。
第25代日本天皇として『日本書紀』に記される人物です。 在位期間は伝承によると499年から507年とされますが、具体的な事跡はほとんど伝わっていません。 一部の説では暴虐の評もあり、短い治世で急逝したと伝えられます。 後継者問題などにより、後世の歴史編纂者の関心は薄く、謎の多い天皇といえます。 考古学的な裏付けも乏しく、学術的な評価は難航しています。
507年 12月8日 武烈天皇 天皇 489年
天智天皇10年12月3日

天智天皇

(626 - 672)

第38代天皇

第38代天皇
飛鳥時代の改革君主。中央集権化と律令国家の基盤を築きました。
第38代天智天皇は626年に生まれ、672年に在位しました。 法令編纂や都城の整備を進め、近江大津宮への遷都を実施しました。 和同開珎の鋳造など日本初の貨幣発行を行い、経済面でも革新をもたらしました。 彼の死後に起きた壬申の乱は皇位継承争いとして歴史に大きな影響を与えました。 文武両面に優れた指導者として、日本国家形成の重要な転換期を担いました。
672年 12月3日 天智天皇 626年
元慶4年12月4日

清和天皇

(850 - 881)

第56代天皇

第56代天皇
平安時代中期の天皇。幼少で即位し、藤原氏による摂関政治の始まりを象徴しました。
第56代清和天皇は850年に生まれ、在位期間は858年から876年です。 幼少で即位したため、藤原良房が初の摂政に就任し、藤原氏の全盛期への礎を築きました。 在位中は武芸・学問を好み、詩歌や儀式を重んじたと伝えられます。 退位後は法皇として隠棲し、内裏の政務を離れながらも朝廷の権威維持に寄与しました。 その治世は平安京の文化と政治体制の安定化を促し、後の摂関政治の道を開きました。
881年 元慶 12月4日 清和天皇 850年
長徳4年12月12日

藤原実方

平安時代の公卿・歌人

平安時代の公卿・歌人
平安時代の公卿・歌人。宮廷歌合で活躍し、美麗な和歌を残しました。
藤原実方は平安時代中期の公卿で、藤原北家に属し朝廷で重用されました。 歌人としても知られ、『古今和歌集』などの勅撰和歌集に和歌が多く採録されています。 宮廷の歌合や儀式でその歌才が高く評価され、貴族文化の象徴となりました。 実方の作風は優美かつ叙情的で、後世の和歌文学に影響を与えました。 政務と詩歌の双方で卓越した姿が史料に記され、平安貴族の典型とされています。
999年 長徳 12月12日 藤原実方 平安時代 公卿 歌人
1285年

カルロ1世

(1227 - 1285)

シチリア王

シチリア王
フランス出身のアンジュー伯がシチリア王に即位し、ホーエンシュタウフェン家を打倒した。
カルロ1世(アンジュー伯シャルル)は1227年に生まれ、1266年にシチリア王に即位しました。 フランス王ルイ9世の弟として生まれ、教皇インノケンティウス4世の支持を受けホーエンシュタウフェン家を滅ぼしました。 シチリア王国の統治を強化し、南イタリアにおけるアンジュー朝の基礎を築きました。 しかし1282年のシチリア晩鐘事件により支配を失い、ナポリ王として勢力維持を図りました。 イタリア南部の政治地図を大きく変え、中世ヨーロッパの権力闘争に深く関与しました。
1285年 カルロ1世 シチリア王 1227年
1321年

ディニス1世

(1261 - 1321)

ポルトガル王

ポルトガル王
「詩人王」と称され農業や学問を奨励し、ポルトガルの国力を強化した国王。
ディニス1世(ディニス王)は1261年に生まれ、1279年から1325年まで在位しました。 自ら詩作を行い、リスボン大学(後のコインブラ大学)の前身を創設して学問を奨励した「詩人王」として知られます。 広範な植樹事業を推進し、森林保護制度を確立して農業発展に寄与しました。 法典編纂に着手し、司法制度や行政組織の整備を通じて中央集権化を進めました。 海上貿易路の発展にも注力し、ポルトガルの経済繁栄に大きく貢献しました。
1321年 ディニス1世 ポルトガル王 1261年
1355年

イネス・デ・カストロ

(1325 - 1355)

ポルトガル王ペドロ1世の愛妾・妃

ポルトガル王ペドロ1世の愛妾・妃
ポルトガル王ペドロ1世の悲劇的な愛人。死後に王妃として葬られた伝説が残ります。
1325年生まれのイネス・デ・カストロは、ポルトガル王ペドロ1世の側室であり愛人でした。 政略結婚をめぐる宮廷内抗争の犠牲となり、1355年に処刑されました。 恋人の死後、ペドロ1世は王位につくと彼女を王妃として埋葬し、復讐を遂げたと伝えられます。 遺骸が王妃として葬られたというロマンチックな伝説は中世ヨーロッパで語り継がれています。 その悲恋は詩や演劇の題材となり、後世の文化にも大きな影響を与えました。
1355年 イネス・デ・カストロ ペドロ1世 1325年
1451年

フェリクス5世

(1383 - 1451)

対立教皇

対立教皇
サヴォイア公から対立教皇に転じ、教会改革を求めた異色の指導者。
本名アマデウス8世は1383年生まれのサヴォイア公で、1439年に教会改革派の支持を受け対立教皇フェリクス5世として選出されました。 バゼル公会議での権威を背景に教皇庁に対抗し、多数の司教任命権を行使しました。 しかし1449年に退位してローマ教皇ニコラウス5世と和解し、教会分裂を収束させました。 退位後もサヴォイア公として文化・教育の発展に寄与し、教会と公会議主義の対立を象徴する存在となりました。
1451年 フェリクス5世 対立教皇 1383年
1536年

キャサリン・オブ・アラゴン

(1485 - 1536)

イングランド王ヘンリー8世の王妃

イングランド王ヘンリー8世の王妃
ヘンリー8世の最初の王妃。離婚問題が宗教改革の端緒となりました。
1485年にスペインのアラゴン王女として生まれ、1509年にヘンリー8世と結婚してイングランド王妃となりました。 メアリー1世をもうけましたが、世継ぎ男子を産めなかったため離婚問題が勃発しました。 教皇から離婚許可が得られなかったことでイギリス国教会が成立し、宗教改革の一因となりました。 晩年は財産権を制限されつつも信仰を守り、亡くなるまで「法的王妃」としての地位を主張しました。 彼女の生涯は王権と教会の関係を揺るがし、イングランド宗教史に大きな足跡を残しました。
1536年 キャサリン・オブ・アラゴン ヘンリー8世 1485年
弘治元年11月26日

織田信光

(1516 - 1556)

戦国武将

戦国武将
織田氏一族の戦国武将。内紛の中で勢力維持に努めた人物。
織田信光は1516年に美濃国で生まれ、織田家の分家として活動しました。 主に家中の内紛や地域間の小競り合いに従事し、織田信秀や信長が台頭していく中で勢力維持に努めました。 領地の防備や外交を担当し、城の築造などで一定の実績を残したとされています。 史料は限られますが、戦国時代の乱世で独自色を保ち続けた数少ない武将の一人です。 1556年に没し、その後は織田家の再編に伴い影響力を喪失しました。
1556年 弘治 11月26日 織田信光 戦国武将 1516年
1619年

ニコラス・ヒリアード

(1547 - 1619)

金銀細工師・ミニアチュール作家

金銀細工師・ミニアチュール作家
エリザベス朝時代のイングランドで活躍した金銀細工師であり、精緻な肖像ミニアチュール作家として知られた人物です。
1547年頃に生まれ、主にエリザベス1世とジェームズ1世の宮廷に仕えました。彼は金銀細工の技術を背景に、小さな肖像画に新たな可能性を切り拓きました。繊細な筆遣いと鮮やかな彩色が特徴で、多くの貴族や王族の肖像を手がけました。代表作には『エリザベス1世の肖像』などがあり、イギリス美術史に大きな影響を与えました。後年には自身の制作技法をまとめた書簡も残され、後世の画家にも影響を及ぼしました。
1619年 ニコラス・ヒリアード ミニアチュール 1547年
1623年

フラ・パオロ・サルピ

(1552 - 1623)

神学者・修道士

神学者・修道士
16世紀ヴェネツィア共和国の修道士であり、神学と歴史学の学者として知られた人物です。
1552年に生まれ、ヴェネツィアの聖務省サービト会に所属しました。教会と国家の権力関係を巡る論争において、ヴェネツィア共和国側の立場を擁護してローマ教皇庁と対立したことで有名です。神学だけでなく、歴史学にも造詣が深く、『トリエント公会議史』を著して教会改革の動向を記録しました。 また、科学的思考を尊重し、近代科学の発展にも寄与した先駆的な思想家とも評されています。1623年に亡くなるまで多くの書簡や論文を遺しました。
1623年 フラ・パオロ・サルピ 神学者 修道士 1552年