ナバラ王国女王
ナバラ王国女王
ナバラ王国の女王。ユグノー運動を指導して宗教改革を推進。フランス王アンリ4世の母としても知られる。
1528年にフランスで生まれる。ザルブレ伯アンリ2世とブリタニー公国シャルロット・ド・モンパンシエの長女として育つ。1548年にナバラ王アントワーヌ2世と結婚し、1555年に女王に即位。プロテスタント(ユグノー)信仰を受け入れて信教の自由を推進し、フランス宗教戦争の中でユグノー運動を支援する。1572年に死去し、その影響力は息子アンリ4世の即位にも大きな役割を果たした。
1528年
ジャンヌ・ダルブレ
ナバラ王国
1572年
辞書編纂者
辞書編纂者
16世紀スペインの辞書編纂者。カスティーリャ語の語彙を体系的にまとめた『スペイン語宝庫』の著者。言語学史に名を残す人物。
1539年にスペインで生まれ、カスティーリャ語辞典の編纂に生涯を捧げた。1611年に出版された『スペイン語宝庫(Tesoro de la lengua castellana o española)』は、初期近代スペイン語研究の代表作とされる。語源や用例、歴史的背景を豊富に取り入れ、後世の辞書編纂に大きな影響を与えた。辞書学だけでなくスペイン語学の発展にも寄与し、言語学者としても高く評価されている。詳細な生涯については資料が限られるが、その業績は言語学史において重要視されている。
1539年
政治哲学者
政治哲学者
17世紀イギリスの政治哲学者。著書『オシアナ』で共和政体の理想像を示し、近代政治理論に影響を与えた。
1611年にイングランドの貴族の家系に生まれる。オックスフォード大学で教育を受け、古典哲学や政治思想に触れる。1656年に『オシアナ』を発表し、共和政体の構想や市民の権利・義務について論じる。王政復古期には政治的立場から一時失脚したものの、その革新的な理論は啓蒙思想や近代政治学に大きな影響を与えた。1677年に没し、政治哲学の古典として今日も読み継がれている。
1611年
ジェームズ・ハリントン
政治哲学
1677年
イエズス会士、科学者、収集家
イエズス会士
科学者
収集家
イタリア出身のイエズス会士で博物学者。貝類や鉱物の標本収集と研究で知られる。ローマの学院博物館の整備にも尽力した。
17世紀から18世紀にかけて活躍したイエズス会士で、科学研究と標本収集を行った。イタリア各地で採集活動を行い、貝類や鉱物のコレクションを蓄積。標本の観察を通じて自然史の体系化を試み、貝類に関する論文や図版を公刊。ローマのイエズス会学院付属博物館の整備に貢献し、後の博物学発展に影響を与えた。1725年に没するまで、多岐にわたる自然科学の振興に尽力した。
1612年
イエズス会
科学者
1725年
初代上総国佐貫藩主
初代上総国佐貫藩主
江戸時代中期の大名。初代上総国佐貫藩主として藩政を確立し、財政再建に努めた。
1700年(元禄12年11月18日)に出生し、阿部氏の一門に生まれる。1712年に上総国佐貫藩主に任じられ、藩政改革を推進。領内の治水事業や財政再建に取り組み、藩財政の安定化を図った。農業振興や学問奨励にも力を入れ、藩校の設立を主導。1751年に没し、その治世で培われた基盤は後の藩政に引き継がれた。
1700年
元禄
11月18日
阿部正鎮
上総国
佐貫藩主
1751年
昆虫学者、経済学者
昆虫学者
経済学者
18世紀ドイツの昆虫学者。リンネに学び数千種の昆虫を記載した分類学の先駆者。経済学研究にも取り組んだ。
1745年にドイツで生まれ、ウプサラ大学にてカール・リンネに師事。昆虫学において新種の発見・記載を数多く手掛け、分類体系の発展に寄与した。『Systema Entomologiae』など多くの著作で数千の種を命名し、現代昆虫分類学の基礎を築く。また経済学に関する論文を執筆し、農業生産や貿易に関する研究にも取り組んだ。1808年に没し、その功績は博物学と社会科学の両面で評価されている。
1745年
ヨハン・クリスティアン・ファブリクス
英語版
昆虫学
経済学者
1808年
劇作家、国学者
劇作家
国学者
江戸時代中期の劇作家・国学者。民間伝承を素材に劇作を展開し、国学研究にも貢献した。
1754年(宝暦3年12月14日)に江戸で生まれ、本名は石川雅望。宿屋『飯盛』を営む家に育ち、旅人や地元の伝承に触れる中で劇作に興味を持つ。江戸で青年座を結成し、浮世草子や民話を素材にした人形浄瑠璃や狂言風の作品を上演。国学を学び、古典文学や神話の研究を通じて日本文化の本質を探求した。1830年に没し、その活動は後の劇作家や学者にも影響を与えた。
1754年
宝暦
12月14日
石川雅望
劇作家
国学者
1830年
天文学者
天文学者
イギリスの天文学者。恒星カタログ『Groombridge 1838』を編纂し、星の固有運動研究に貢献した。
1755年にイギリスで生まれ、天文学と数学を独学で学ぶ。1778年に王立協会フェローに選出され、観測機器の改良にも携わる。恒星の位置観測を継続し、星表『Groombridge 1838』を完成させた。この星表は後の天文学研究、特に固有運動の研究に利用される。月食や日食の予測にも取り組み、1832年に没するまで観測と研究を続けた。
1755年
スティーヴン・グルームブリッジ
天文学者
1832年
ナポリ王、のちスペイン王
ナポリ王
のちスペイン王
フランス皇帝ナポレオン1世の兄。ナポリ王・スペイン王を歴任し、帝政期ヨーロッパで政治的役割を果たした。
1768年にコルシカ島で生まれ、ナポレオン・ボナパルトの兄として育つ。1806年にナポリ王に即位し、1810年にはスペイン王となる。フランス帝国の傀儡国家統治を担いながら、行政改革や教育制度の近代化に取り組んだ。ワーテルローの敗北後、王位を失いアメリカやイギリスで亡命生活を送る。晩年はパリで過ごし、1844年に死去した。
1768年
ジョゼフ・ボナパルト
ナポリ王
スペイン王
1844年
第6代陸奥国会津藩主
第6代陸奥国会津藩主
江戸時代後期の会津藩主。藩政改革や財政再建に努め、教育振興にも力を入れた。
1779年(安永7年11月20日)に会津松平家に生まれる。1797年に第6代会津藩主となり、財政難の打開を図る。農村の整備や年貢制度の見直しを実施し、財政基盤の安定化に成功。藩校日新館の教育充実や学問奨励を推進し、領内文化の振興に貢献する。1806年に没し、その改革精神は後の藩政にも受け継がれた。
1779年
安永
11月20日
松平容住
陸奥国
会津藩主
1806年
第4代三河国刈谷藩主
第4代三河国刈谷藩主
江戸時代後期の大名、三河国刈谷藩第4代藩主を務めた。
1788年
天明
11月29日
土井利謙
三河国
刈谷藩主
1813年
第13代アメリカ合衆国大統領
第13代アメリカ合衆国大統領
第13代アメリカ合衆国大統領(在任1850–1853年)。ホイッグ党所属で、テイラー大統領の急逝に伴い昇格した。
1800年1月7日、ニューヨーク州ケイユガ郡で生まれる。
法曹界に進み、1828年に下院議員に選出。
1849年には副大統領に就任し、1850年7月に急逝したテイラー大統領の後を継いで第13代大統領に昇格。
在任中は1850年の妥協法(Compromise of 1850)を成立させ、南北対立の激化を一時的に緩和。
1853年に退任後は法律事務所を再開し、公職から身を引いた。
1874年3月8日にワシントンD.C.で逝去した。
1800年
ミラード・フィルモア
アメリカ合衆国大統領
1874年