慶長14年12月12日
有馬晴信がポルトガル船マードレ・デ・デウス号を焼き討ち。岡本大八事件の発端の一つとなる。
有馬晴信がポルトガル船マードレ・デ・デウス号を焼き討ちした事件。
1610年1月6日(慶長14年12月12日)、キリシタン大名の有馬晴信が長崎に停泊中のポルトガル船マードレ・デ・デウス号を焼き討ちしました。この行動は幕府による南蛮貿易の統制強化とキリスト教弾圧の一環とされ、同時に岡本大八事件の遠因ともなります。焼き討ちにより、貴重な南蛮品やキリシタン文書が失われるなど大きな物的損害が生じました。事件は有馬氏内部の権力争いにも影響し、後の領国内の混乱を招く結果となります。日本とポルトガル間の交易史や禁教政策の転換点として注目される出来事です。
1610年
慶長
12月12日
有馬晴信
岡本大八事件
1649年
イングランド内戦:長期議会が国王チャールズ1世の裁判を行うことを議決。
長期議会がチャールズ1世の裁判を決議し、英国王政の一大転換を引き起こした。
1649年1月6日、イングランド内戦中の長期議会(ロング・パーラメント)が国王チャールズ1世を裁判にかけることを正式に議決しました。これは権力の集中を図るチャールズ1世に対する議会派の反発が頂点に達した結果であり、王権神授説への挑戦でもありました。議決を受けて特別法廷が設置され、同年1月30日にはチャールズ1世の処刑が執行される運びとなります。この一連の出来事は王政の否定と共和政(コモンウェルス)の成立を導き、近代英国の政治体制を大きく変革しました。歴史上初めて君主が自国議会によって裁かれるという衝撃的な事件として記憶されています。
1649年
イングランド内戦
長期議会
チャールズ1世
1842年
イギリスのカーブル撤退。アフガニスタンに侵攻したインドのイギリス軍に対するアフガン人の抵抗に、イギリス軍がアクバル=ハーンと協議、撤退を開始。しかし途中で攻撃を受け、4500人のイギリス軍は全滅。
イギリス軍がアフガニスタンから撤退を開始しましたが、途中で襲撃を受け全滅しました。
帝国主義の脆さを示す悲劇的な事件です。
1842年1月6日、インド帝国を拠点とするイギリス軍はアフガニスタンの首都カーブルからの撤退を開始しました。
撤退はアクバル・ハーン率いる地元勢力との協議の上で決定されましたが、途中でアフガン人の襲撃を受けました。
約4500人のイギリス軍とその随伴部隊は寒冷地での疲労や補給不足の中、激しい攻撃を受け全滅状態となりました。
この事件は第一次英アフガン戦争の終章にあたり、イギリス軍の短期間での敗北として歴史に刻まれています。
クリミア戦争時代以前の帝国主義的遠征の困難さを象徴し、軍事戦略の教訓ともなりました。
1842年
イギリス
カーブル
アフガニスタン
インド
アフガン人
イギリス軍
1951年
江華良民虐殺事件。
韓国・江華島で発生した民間人虐殺事件で、多数の無実の市民が犠牲となりました。
1951年1月6日、朝鮮戦争下の韓国・江華島で韓国軍などにより多くの民間人が虐殺される事件が発生しました。
住民は共産ゲリラとの関係を疑われ、男性・女性・子どもを問わず無差別に攻撃されました。
犠牲者は数十名に上るとされ、正確な被害状況はいまだに議論の対象です。
事件は戦時下の反共政策が過剰に適用された結果として生じ、後に真相究明と責任追及が問題視されました。
現在でも歴史認識の課題として国内外で議論が続く深刻な人権侵害事件です。
1951年
江華良民虐殺事件
1967年
ベトナム戦争: アメリカ海兵隊が南ベトナムでメコンデルタ作戦を開始。
ベトナム戦争で米海兵隊がメコンデルタ地域で大規模作戦を開始しました。
1967年1月6日、ベトナム戦争の一環としてアメリカ海兵隊が南ベトナムのメコンデルタ地域で「メコンデルタ作戦」を開始しました。
本作戦はゲリラ殲滅と補給線遮断を目的とし、河川を利用したリバーン戦術が展開されました。
海兵隊は現地住民の支援確保や地雷除去活動なども実施し、河川交通の制圧を図りました。
作戦は数週間にわたり行われ、米軍およびベトナム共和国軍に一定の成果をもたらしました。
リバーン戦術の発展に寄与し、以後の河川作戦のモデルケースとして評価されています。
1967年
ベトナム戦争
アメリカ海兵隊
南ベトナム
メコンデルタ作戦
英語版
1995年
アルカーイダによるテロ計画「ボジンカ計画」が事前に発覚する。
1995年1月6日、アルカーイダが企てた大規模テロ計画「ボジンカ計画」がフィリピン当局により未然に発覚しました。
1995年1月6日、フィリピン警察がアルカーイダ関係者のアジトを摘発し、「ボジンカ計画」の存在を明らかにしました。
ボジンカ計画は複数の旅客機同時爆破を狙った大規模テロ計画で、数千人規模の犠牲者が予想されていました。
摘発により実行は未然に防がれ、国際的なテロ対策の強化を促す転機となりました。
この事件はアルカーイダの脅威を世界に印象付け、米国など各国の情報共有体制強化につながりました。
以降、航空保安対策や国際テロ監視が一層重視される契機となりました。
1995年
アルカーイダ
ボジンカ計画
2016年
朝鮮民主主義人民共和国が水素爆弾による核実験に成功と宣言。
北朝鮮が水素爆弾の核実験に成功したと宣言した。
2016年1月6日、北朝鮮政府は水素爆弾(一種の熱核兵器)実験に成功したと公式発表。
地下核実験場で行われたとされる実験は、米韓両国や国連安全保障理事会から速やかな非難と追加制裁決議を招いた。
観測された地震波の規模から推定される威力は従来の核実験を上回る可能性が指摘され、地域の軍拡競争に拍車をかけた。
国際社会は核不拡散条約の厳格な履行と対話の再開を求める声を強めた。
2016年
朝鮮民主主義人民共和国
水素爆弾
核実験