1066年

エドワード懺悔王

(1004 - 1066)

イングランド王

イングランド王
11世紀のイングランド王。サクソン朝最後の王として知られ、後に聖人として列聖された。
エドワード懺悔王(c.1003–1066)は、1042年から1066年まで在位したイングランド王である。 ノルマン人との緊張緩和や文化的交流を図り、ウェストミンスター寺院の建設を発願した。 王としての統治は比較的平和的であったが、後継者問題がノルマン・コンクエストの遠因となった。 列聖され、ヨーロッパ各地で「聖エドワード」として崇敬を集める。 イングランドの宗教・政治史に大きな影響を与えた。
1066年 エドワード懺悔王 イングランド王 1004年
1465年

シャルル・ド・ヴァロワ

(1394 - 1465)

フランスの貴族、王族

フランスの貴族 王族
15世紀のフランス王族で詩人としても活躍し、百年戦争の激動期を生き抜いた人物。
シャルル・ド・ヴァロワ(1394–1465)は、ヴァロワ朝期のフランス貴族である。 百年戦争の終盤に生き、対イングランド戦の交渉や和平活動に関与した。 優れた詩才を示し、宮廷詩人として文学的功績を残した。 捕虜となった後も詩作を通じて内面的な情感を表現し、多くの作品を後世に伝えた。 フランス文学の発展に影響を与えた重要な貴族文学者である。
1465年 シャルル・ド・ヴァロワ フランス 1394年
1477年

シャルル

(1433 - 1477)

ブルゴーニュ公

ブルゴーニュ公
15世紀のブルゴーニュ公。領土拡大を目指し、数多の軍事遠征を指揮した強力な君主。
シャルル勇敢公(シャルル・ル・テュエ, 1433–1477)は、ブルゴーニュ公国の支配者である。 在位中は領土拡大に情熱を注ぎ、スイス連邦や神聖ローマ帝国と度重なる紛争を繰り広げた。 軍事的才覚に優れ、重装歩兵や砲兵を駆使した戦術改革を進めた。 1477年のナンシーの戦いで戦死し、その死はブルゴーニュ公国の分裂を招いた。 大胆不敵な統治と戦略は、近代ヨーロッパ史に大きな足跡を残した。
1477年 シャルル ブルゴーニュ公 1433年
1517年

フランチェスコ・フランチャ

(1450 - 1517)

画家

画家
イタリア・ルネサンス期の画家・金細工師。柔らかな色彩と耽美的な肖像画で知られる。
フランチェスコ・フランチャ(Francesco Francia, 1450–1517)は、ボローニャで活躍した画家・金細工師である。 宗教画や肖像画など、多彩なジャンルを手掛け、その繊細な筆致が特徴。 金細工やメダル制作にも精通し、多面的な芸術活動を展開した。 弟子を多く育成し、後のルネサンス美術に影響を与えた。 現在もヨーロッパ各地の美術館に所蔵されている作品が多い。
1517年 フランチェスコ・フランチャ 画家 1450年
1524年

マルコ・マルリッチ

(1450 - 1524)

詩人

詩人
クロアチア・ルネサンス期の詩人。祖国語文学の基礎を築いた“クロアチア文学の父”。
マルコ・マルリッチ(Marko Marulić, 1450–1524)は、クロアチアの著名な人文主義詩人である。 ラテン語とクロアチア語で作品を著し、史詩『ユドイカ』は欧州で広く読まれた。 宗教詩や叙事詩を通じて倫理や愛国心をテーマとし、深い思想性を示した。 その文学活動は母国語文学の発展に大きく寄与し、後世に影響を残した。 “クロアチア文学の父”と称される由縁となった。
1524年 マルコ・マルリッチ 英語版 1450年
1589年

カトリーヌ・ド・メディシス

(1519 - 1589)

フランス国王アンリ2世王妃

フランス国王アンリ2世王妃
16世紀のフランス王妃。三人の息子の摂政として宗教戦争を調停した政治的影響力を持つ人物。
カトリーヌ・ド・メディシス(1519–1589)は、イタリア出身でフランス王アンリ2世の王妃となった。 王妃として宮廷文化を奨励し、ルネサンス美術や料理をフランスに紹介した。 息子たちの摂政としてユグノー戦争の和平と権力調整に努めた。 聖バルトロマイの虐殺に関与したとされ、政治的謀略家としても知られる。 宮廷のファッションや美術のメセナとしても後世まで語り継がれる存在。
1589年 カトリーヌ・ド・メディシス アンリ2世 1519年
寛永10年12月6日

徳川忠長

(1606 - 1634)

駿府藩主

駿府藩主
江戸時代初期の大名(駿府藩主)。将軍家光の異母弟として権力闘争に敗北した。
徳川忠長(1606–1634)は、徳川家光の異母弟として誕生し、駿府藩主を務めた。 才気あふれる青年として期待されたが、兄との軋轢により失脚した。 家光から詰問を受け、最終的に切腹を命じられ、その生涯を閉じる。 その波乱の生涯は幕府権力の厳格さを象徴するエピソードとして知られる。 短命ながら幕藩体制の内情を伝える重要な人物である。
1634年 寛永 12月6日 徳川忠長 駿府藩主 1606年
1727年

ジョバンニ・アントニオ・ブルリー二

(1656 - 1727)

画家

画家
イタリア・バロック期の画家。ボローニャを拠点に宮廷装飾画で名声を得た。
ジョバンニ・アントニオ・ブルリー二(Giovanni Antonio Burrini, 1656–1727)は、イタリア・バロック美術の画家である。 ロレンツォ・パジネッリに学び、後にジェノヴァのドーリア家など宮廷装飾画を手がけた。 豊かな色彩と劇的な構図を特徴とし、宗教画から神話画まで幅広い作品を残した。 ボローニャ派を代表する画家として、多くの弟子を育成した。 その作品は現在もヨーロッパ各地の教会や美術館で鑑賞できる。
1727年 ジョバンニ・アントニオ・ブルリー二 英語版 1656年
享保15年11月27日

徳川継友

(1692 - 1731)

第6代尾張藩主

第6代尾張藩主
江戸時代中期の大名(尾張藩主)。財政再建や藩校設立を通じて藩政改革を推進。
徳川継友(1692–1731)は、尾張藩の第6代藩主として在位した大名である。 享保の改革期に財政難の打開と領民の救済策に取り組んだ。 藩校を設立し、学問や武芸の振興を図ることで人材育成に注力した。 文化・行政両面で実務的な手腕を発揮し、尾張藩の安定と発展に寄与した。 在任期間は短かったが、後世に評価される改革を残した。
1731年 享保 11月27日 徳川継友 尾張藩主 1692年
1740年

アントニオ・ロッティ

(1667 - 1740)

作曲家、オルガニスト

作曲家 オルガニスト
イタリア・バロック期の作曲家・オルガニスト。ヴェネツィアのサンマルコ聖堂で活躍。
アントニオ・ロッティ(1667–1740)は、ヴェネツィア派のバロック作曲家である。 サンマルコ聖堂の副楽長やオルガニストを務め、音楽監督としても活躍した。 オペラやモテット、マニフィカトなど多彩な宗教曲を多数作曲した。 対位法に優れた作品はイタリア宮廷や教会で高く評価された。 後進の指導にも尽力し、18世紀のイタリア音楽に大きな影響を与えた。
1740年 アントニオ・ロッティ 作曲家 1667年
1762年

エリザヴェータ

(1709 - 1762)

ロマノフ朝第6代ロシア皇帝

ロマノフ朝第6代ロシア皇帝
ロマノフ朝第6代のロシア女帝。 西欧文化を奨励し、エルミタージュ美術館の基礎を築いた。
1709年、ロシア皇帝ピョートル1世の娘として生まれる。 1741年のクーデターで即位し、ロマノフ朝第6代君主となった。 西欧文化の導入を推進し、エルミタージュ美術館の前身を設立。 建築や芸術を保護し、サンクトペテルブルクを文化都市として発展させた。 外交では七年戦争において中立を維持し、ロシアの国際的地位を強化。 1762年に急逝し、帝位は甥のピョートル3世に移った。
1762年 エリザヴェータ ロマノフ朝 ロシア 皇帝 1709年
1818年

マルチェロ・バッチャレッリ

(1731 - 1818)

画家

画家
18世紀イタリアの宮廷画家。 肖像画を中心に歴史的場面を優雅に描いた。
1731年にイタリアで生まれ、ミュンヘンやワルシャワで宮廷画家として活躍。 主に肖像画を得意とし、ポーランド王や貴族の依頼を多く手がけた。 写実的かつ優雅な画風で高く評価され、宮廷生活や歴史的場面を描写。 作品は現在もヨーロッパ各地の美術館に所蔵されている。 1818年にその生涯を終えたが、後世の肖像画家に影響を与え続けている。
1818年 マルチェロ・バッチャレッリ 英語版 1731年