1889年

フリードリヒ・ニーチェが神経衰弱を発症。残りの人生を病人として過ごす。

1889年、哲学者ニーチェが神経衰弱を発症し、生涯を通じて精神的苦難を抱えた。 哲学界に衝撃を与えた転機。
1889年1月3日、フリードリヒ・ニーチェはイタリア南部のトリノで突如神経衰弱を発症し、精神的に崩壊しました。 彼は自らの馬に駆け寄って抱きつくなどの奇行を見せ、その後は入院と静養を余儀なくされました。 この発症によりニーチェは自らの哲学的活動能力を失い、創造的著作を生み出すことができなくなりました。 残る生涯を病人として過ごし、弟子や後進の学者たちが彼の未完の思想を後世に伝えました。 ニーチェの思想は彼の死後に再評価され、20世紀の哲学や文学に大きな影響を与えました。
1889年 フリードリヒ・ニーチェ
1938年

女優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と共に樺太にある北緯50度の日ソ国境を越えてソ連に入る。

女優・岡田嘉子と杉本良吉が樺太の国境を越えてソ連に入国した。
1938年1月3日、女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉は樺太(サハリン)北緯50度で日ソ国境を越え、ソ連領へと入国しました。彼らは映画関係の活動を目的として渡航したとされますが、当時の日ソ間の緊張関係下での国境越えは異例の行動でした。日本政府はこれを問題視し、帰国後も行方が注目されました。岡田嘉子はその後ソ連で映画活動を続け、数々の作品に出演しました。この出来事は日ソ文化交流の一幕としても語り継がれています。
1938年 女優 岡田嘉子 演出家 杉本良吉 樺太 ソ連
1951年

「第1回NHK紅白歌合戦」がラジオで放送される。2年後から大晦日放送に。

第1回NHK紅白歌合戦がラジオで放送開始された。
1951年1月3日、NHKは初めて『第1回NHK紅白歌合戦』をラジオ放送で実施しました。戦後の復興期に音楽番組として始まったこの企画は、男女に分かれた歌手が対抗形式で歌唱を披露する斬新な番組でした。リスナーから好評を博し、2年後の大晦日放送への移行が決定しました。以後、紅白歌合戦は日本の年末の風物詩となり、テレビの普及とともに視聴率の高い番組へ成長しました。長年にわたり日本のポップカルチャーを象徴する番組として愛され続けています。
1951年 第1回NHK紅白歌合戦 大晦日
1969年

唐十郎主宰の劇団・状況劇場が、東京都の中止命令を無視して新宿中央公園にテントを張り公演を実施。都市公園法違反で現行犯逮捕。

劇団・状況劇場が都の中止命令を無視し、新宿中央公園でテント公演を実施、芸術表現の自由を巡る論争を巻き起こしました。
1969年1月3日、唐十郎が主宰する劇団『状況劇場』が東京都の中止命令を無視して新宿中央公園にテントを設営し、野外公演を強行しました。都市公園法違反の現行犯として逮捕者が出る異例の事態となり、芸術表現の自由と行政規制の是非が問われました。状況劇場は前衛的演出と社会批評的な内容で注目を集めており、若者を中心に支持を拡大していました。この行動は公園の利用ルールや美観保護と芸術活動のバランスをめぐる議論に火をつけ、日本演劇界に大きな影響を与えました。後に同劇団は屋外演劇の可能性を追求し続ける象徴的存在となり、現代演出家に多大な影響を及ぼしました。
1969年 唐十郎 新宿中央公園 都市公園法
1976年

TBSのクイズ番組「クイズダービー」放送開始。1992年12月19日まで放送された。

TBSのクイズ番組『クイズダービー』が放送を開始し、16年にわたり人気を博した長寿番組が誕生しました。
1976年1月3日、TBSテレビで新しいクイズ番組『クイズダービー』の放送がスタートしました。番組は予選方式やブロック対抗戦など独自のルールを導入し、多彩なタレントや学者が出演することで話題を呼びました。番組は1992年12月19日まで約16年間にわたり放送され、視聴率も高水準を維持しました。クイズを通じて学習要素と娯楽性を両立させたフォーマットは、その後のクイズ番組制作に大きな影響を与えました。長寿番組として親しまれた『クイズダービー』は、テレビ史に残る代表的な知的娯楽番組として評価されています。
1976年 TBS クイズダービー 1992年 12月19日