皇室一般参賀

国・地域: 日本

毎年1月2日、皇居において、天皇・皇后が国民から祝賀を受ける行事。天皇・皇后が他の皇族と共に、随時宮殿のベランダに現れ、直接国民から祝賀を受ける。皇居での新年一般参賀は、1948年(昭和23年)1月1日から始まった。当時は、正午から午後4時までの間、参賀者が正門から入門し、正門内鉄橋付近に設けられた記帳所で記帳の上、坂下門から退出していた。1951年(昭和26年)には、庁舎中央玄関上のバルコニーにおいて、昭和天皇・香淳皇后が参賀者の前に初めて現れた。1月2日から実施されるようになったのは、1953年(昭和28)年からで、1969年(昭和44年)から現在の宮殿で行われるようなった。

天皇・皇后が皇居で一般参賀を受ける新年恒例の行事です。1953年から1月2日に行われています。
皇室一般参賀は毎年1月2日に皇居で天皇・皇后が国民から新年の祝賀を受ける行事です。1948年1月1日に新年一般参賀が始まり、1953年から日付が1月2日に定着しました。1951年には昭和天皇と香淳皇后がバルコニーに初めて立ち、参賀者の歓声を浴びました。1969年以降は現在の宮殿バルコニーで行われ、皇族も随時参加します。参賀者は記帳の上で入門し、新年の皇室と国民の交歓を祝います。皇室と国民の距離を感じられる貴重な文化行事として多くの人が訪れます。
一般参賀 日本 1948年 1951年 昭和天皇 香淳皇后 1953年 1969年

箱根駅伝往路

国・地域: 日本

1920年(大正9)、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから創設。箱根駅伝実施に遡る三年前の1917年(大正6)、読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」を実施。京都三条大橋と東京・上野不忍池間516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐたすきリレーで、これが箱根駅伝の原型になった。この「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、その結果、早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年2月14日午後1時に第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称でスタートした。なお、1月2日から開催されるようになったのは1955年(昭和30年)実施の第31回大会から。

大学駅伝の先駆けとなった箱根駅伝の往路が行われる日です。1920年に創設され、1955年から1月2日開催に。
箱根駅伝往路は1920年に金栗四三らが世界に通用するランナー育成を願い創設した大学駅伝の一部です。初回は「四大校駅伝競走」の名称で早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)が参加しました。1917年に行われた東海道駅伝徒歩競走がその原型となり、京三条大橋から上野不忍池まで516kmを23区間で繋ぎました。1955年の第31回大会から往路が1月2日に行われるようになり、新春の風物詩となっています。山岳コースを駆け抜ける選手たちのタスキリレーはテレビ中継でも人気を集めています。日本マラソン界の歴史を刻む伝統的イベントとして多くの大学が参加を目指します。
箱根駅伝 日本 1920年 金栗四三 1917年 読売新聞社 1955年

1920年(大正9)、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから創設。箱根駅伝実施に遡る三年前の1917年(大正6)、読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」を実施。京都三条大橋と東京・上野不忍池間516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐたすきリレーで、これが箱根駅伝の原型になった。この「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、その結果、早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年2月14日午後1時に第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称でスタートした。なお、1月2日から開催されるようになったのは1955年(昭和30年)実施の第31回大会から。

大学駅伝の先駆けとなった、箱根駅伝の原型とも言える駅伝大会が創設された記念日です。毎年1月2日にスタートし、日本の新春スポーツ行事として親しまれています。
箱根駅伝の起源は1920年に金栗四三らによって創設された『四大校駅伝競走』に遡ります。1917年の東京―京都間516キロの東海道駅伝に刺激を受けた彼らは、大学や師範学校などを巻き込み駅伝の価値を広めました。第1回大会は2月14日に開催されましたが、1955年からは1月2日に日程を移して実施されるようになりました。現在の箱根駅伝は往路・復路合わせて約217.1キロを10区間で走る大学対抗駅伝として知られます。多くの大学が参加し、沿道には数万人の応援が詰めかける一大スポーツイベントです。テレビ中継やラジオ実況が全国に熱戦を伝え、新年の風物詩として定着しています。
1920年 金栗四三 1917年 読売新聞社 1955年