謹賀新年(正月)
国・地域:
日本
書き初め、初売り(仙台初売り)、2017年以降、1月2日の年賀状の配達は中止された。理由は、年賀状の数がピークから大幅に減少したうえ人件費が上昇しているため。
お正月二日目の行事や風習を楽しむ日です。書き初めや仙台初売りなどが行われ、年賀状配達は2017年から中止されました。
お正月二日目は「謹賀新年」として新年を祝う日本の伝統行事です。書き初めは新年最初の筆始めとして家族や書道愛好者が行います。仙台初売りをはじめ全国の百貨店や商店で初売りが催され、福袋が好評です。かつて1月2日にも年賀状配達が行われていましたが、2017年以降は中止されました。この中止は年賀状の減少と人件費の高騰を受けての措置です。現在は新春の余韻を味わいながらゆったりと過ごす人も増えています。
新年
正月
日本
書き初め
初売り
仙台初売り
2017年
年賀状
初荷(仕事始め)
国・地域:
日本
この日、多くの職業で年明け初めての仕事が行われる。荷物を運ぶことが多い商店では、その年初めての荷物を初荷と呼ぶ。農業では、農初め、漁業では初船、林業では山初めなどと言う。
仕事始めにあたる日で、多くの業種で初荷が行われる日です。農業や漁業、林業でも「農初め」「初船」「山初め」と呼ばれます。
1月2日は年明け最初の仕事を再開する「仕事始め」の一環として初荷が行われます。商店や運送業では新年最初に運ぶ荷物を「初荷」と称し、繁盛祈願の意味を込めます。農業では「農初め」、漁業では「初船」、林業では「山初め」など業種ごとに呼び名が異なります。江戸時代から続く慣習で、初荷にあわせて安全と五穀豊穣を祈願する地域もあります。現代では物流業界だけでなく、様々な業種が初荷をイベントとして取り入れています。
初荷
仕事始め
日本
初夢の日
国・地域:
日本
2日の夜から3日の朝にかけて見る夢を初夢とすることから生まれた日。初夢で1年の良し悪しを占った昔は、よい夢を見るため枕の下に七福神が乗った宝船の絵を敷いて寝る人も多く、商人が絵を売り歩いたという。なお、よく言われるめでたい夢「一富士、ニ鷹、三茄子」は、駿河の名物とされる。
一年最初の夢「初夢」を見る期間にちなむ日です。一富士二鷹三茄子を枕の下に敷いて見事を祈ります。
初夢は年の初めに見る夢で、2日の夜から3日の朝に見るものを指します。古くから一年の吉凶を占う習慣があり、商人は七福神が乗った宝船の絵を枕の下に敷いて眠りました。目出度いとされる「一富士、二鷹、三茄子」は駿河の名産にちなむ吉夢の象徴です。現代でも初夢を楽しむために占いグッズやイベントが各地で行われています。初夢に関する話題は雑誌やテレビでも新春の定番として取り上げられます。
初夢
日本
1年
駿河
皇室一般参賀
国・地域:
日本
毎年1月2日、皇居において、天皇・皇后が国民から祝賀を受ける行事。天皇・皇后が他の皇族と共に、随時宮殿のベランダに現れ、直接国民から祝賀を受ける。皇居での新年一般参賀は、1948年(昭和23年)1月1日から始まった。当時は、正午から午後4時までの間、参賀者が正門から入門し、正門内鉄橋付近に設けられた記帳所で記帳の上、坂下門から退出していた。1951年(昭和26年)には、庁舎中央玄関上のバルコニーにおいて、昭和天皇・香淳皇后が参賀者の前に初めて現れた。1月2日から実施されるようになったのは、1953年(昭和28)年からで、1969年(昭和44年)から現在の宮殿で行われるようなった。
天皇・皇后が皇居で一般参賀を受ける新年恒例の行事です。1953年から1月2日に行われています。
皇室一般参賀は毎年1月2日に皇居で天皇・皇后が国民から新年の祝賀を受ける行事です。1948年1月1日に新年一般参賀が始まり、1953年から日付が1月2日に定着しました。1951年には昭和天皇と香淳皇后がバルコニーに初めて立ち、参賀者の歓声を浴びました。1969年以降は現在の宮殿バルコニーで行われ、皇族も随時参加します。参賀者は記帳の上で入門し、新年の皇室と国民の交歓を祝います。皇室と国民の距離を感じられる貴重な文化行事として多くの人が訪れます。
一般参賀
日本
1948年
1951年
昭和天皇
香淳皇后
1953年
1969年
箱根駅伝往路
国・地域:
日本
1920年(大正9)、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから創設。箱根駅伝実施に遡る三年前の1917年(大正6)、読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」を実施。京都三条大橋と東京・上野不忍池間516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐたすきリレーで、これが箱根駅伝の原型になった。この「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、その結果、早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年2月14日午後1時に第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称でスタートした。なお、1月2日から開催されるようになったのは1955年(昭和30年)実施の第31回大会から。
大学駅伝の先駆けとなった箱根駅伝の往路が行われる日です。1920年に創設され、1955年から1月2日開催に。
箱根駅伝往路は1920年に金栗四三らが世界に通用するランナー育成を願い創設した大学駅伝の一部です。初回は「四大校駅伝競走」の名称で早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)が参加しました。1917年に行われた東海道駅伝徒歩競走がその原型となり、京三条大橋から上野不忍池まで516kmを23区間で繋ぎました。1955年の第31回大会から往路が1月2日に行われるようになり、新春の風物詩となっています。山岳コースを駆け抜ける選手たちのタスキリレーはテレビ中継でも人気を集めています。日本マラソン界の歴史を刻む伝統的イベントとして多くの大学が参加を目指します。
箱根駅伝
日本
1920年
金栗四三
1917年
読売新聞社
1955年
長尾寺三味線餅つき
国・地域:
日本
香川県さぬき市、四国八十八箇所霊場第87番札所「長尾寺」で行われる。三味線餅つきは、揃いの法被を身につけた氏子たちが三味線の音色に合わせながら、威勢よく福餅や大鏡餅をつきあげる。つきあげられた餅は、正月7日に行われる力餅運搬競技大会に用いられる。また、当日は子ども餅つきも行われる。
四国八十八箇所霊場第87番札所・長尾寺で行われる三味線餅つきの行事です。氏子が三味線に合わせて餅をつきます。
香川県さぬき市の長尾寺で毎年1月2日に開催される伝統行事です。氏子たちは揃いの法被を着て三味線の音色に合わせ、威勢よく福餅や大鏡餅をつきあげます。つきあがった餅は正月7日に行われる力餅運搬競技大会に使用されます。当日は子ども餅つきも催され、参拝者や地域住民が新春の賑わいを楽しみます。古刹で響く三味線と餅つきの音が新年の訪れを感じさせる風物詩です。
日本
香川県
さぬき市
四国八十八箇所
長尾寺
定期闘牛大会・観光闘牛
国・地域:
日本
愛媛県宇和島市で行われる闘牛大会。定期闘牛大会は年間4回、1月2日、5月3日、8月14日、10月の第4日曜日に実施される。闘牛の起源については、鎌倉時代に農民が農耕用の強い牛をつくるために野原で角突き合わせをしたのが始まりとする説と、17世紀後半に宇和海を漂流していたオランダ船を救助した礼として2頭の牛が贈られ、この牛がたまたま格闘したことにより始まったとする説がある。
愛媛県宇和島市で行われるローカルな闘牛大会です。1月2日は定期闘牛の一回目にあたります。
宇和島市で年4回開催される定期闘牛大会の一つとして1月2日に行われます。闘牛は農耕用の強い牛を育成するために野原で角を突き合わせたことが起源とされます。また17世紀後半、宇和海漂流のオランダ船救助のお礼に授かった牛同士が格闘したことが始まりとも伝えられています。会場では地元の氏子や観光客が牛の迫力あるぶつかり合いを観戦します。地域の伝統文化として観光資源にもなっており、年間を通じて多くの人々を魅了します。
日本
愛媛県
宇和島市
5月3日
8月14日
鎌倉時代
宇和海
書き初め
新年最初の書道として書き初めを行う日です。前年の反省や抱負を漢字一字に託します。
書き初めは日本の新年行事の一つで、1月2日に新年最初の毛筆で文字を書きます。学校や書道教室だけでなく家庭でも福寿の文字や抱負を綴る風習があります。平安時代の儀式に由来し、文字を書くことで心を落ち着かせ、精神統一を図ります。作品は門松の前に飾ったり、お寺に奉納することもあります。現代では展覧会や書道会が書き初め大会を開催し、新春の文化行事として定着しています。
書き初め
初売り(仙台初売り)
新年最初の商戦を祝う初売りの日です。仙台では1月2日に初売りを行い多くの人が福袋を求めて並びます。
仙台初売りは青森の七日町や秋田県大館市も有名ですが、仙台市では1月2日に市内各百貨店が初売りを開店します。行列に並んで限定の福袋やセール品を手に入れるのが恒例となっています。仙台名物の「初売り笹かまぼこ」の配布や、縁起物の売り出しも人気です。開店前には店員による豪華景品のくじ引きや、餅つきイベントが行われる店舗もあります。新年最初の買い物を楽しむ日として家族連れや友人同士で賑わいます。
初売り
仙台初売り
2017年以降、1月2日の年賀状の配達は中止された。理由は、年賀状の数がピークから大幅に減少したうえ人件費が上昇しているため。
2017年
年賀状
毎年1月2日、皇居において、天皇・皇后が国民から祝賀を受ける行事。天皇・皇后が他の皇族と共に、随時宮殿のベランダに現れ、直接国民から祝賀を受ける。皇居での新年一般参賀は、1948年(昭和23年)1月1日から始まった。当時は、正午から午後4時までの間、参賀者が正門から入門し、正門内鉄橋付近に設けられた記帳所で記帳の上、坂下門から退出していた。1951年(昭和26年)には、庁舎中央玄関上のバルコニーにおいて、昭和天皇・香淳皇后が参賀者の前に初めて現れた。1月2日から実施されるようになったのは、1953年(昭和28)年からで、1969年(昭和44年)から現在の宮殿で行われるようなった。
皇居の宮殿ベランダで天皇・皇后が国民の祝賀を直接受ける伝統的な新年行事です。毎年1月2日に実施され、多くの参賀者が新春の祝賀を行います。
新年一般参賀は1948年に始まり、当初は1月1日のみ開催されていました。1951年に昭和天皇・香淳皇后がバルコニーに初めて登場し、参賀者を間近に迎えました。1953年からは1月2日にも開催され、以降、現在まで両日にわたって行われています。1969年以降は現行の宮殿前ベランダでの実施が定着し、天皇・皇后は随時ベランダに現れて祝賀を受けます。参加者は正門から入場し、参賀記帳所で名簿に記帳後、坂下門から退出します。新春の皇室行事として日本全国から多くの人々が訪れ、祝福の空気に包まれます。近年ではテレビ中継やオンラインでの配信も行われ、国内外から注目を集めています。
1948年
1951年
昭和天皇
香淳皇后
1953年
1969年
1920年(大正9)、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから創設。箱根駅伝実施に遡る三年前の1917年(大正6)、読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」を実施。京都三条大橋と東京・上野不忍池間516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐたすきリレーで、これが箱根駅伝の原型になった。この「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、その結果、早稲田、慶応、明治、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年2月14日午後1時に第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称でスタートした。なお、1月2日から開催されるようになったのは1955年(昭和30年)実施の第31回大会から。
大学駅伝の先駆けとなった、箱根駅伝の原型とも言える駅伝大会が創設された記念日です。毎年1月2日にスタートし、日本の新春スポーツ行事として親しまれています。
箱根駅伝の起源は1920年に金栗四三らによって創設された『四大校駅伝競走』に遡ります。1917年の東京―京都間516キロの東海道駅伝に刺激を受けた彼らは、大学や師範学校などを巻き込み駅伝の価値を広めました。第1回大会は2月14日に開催されましたが、1955年からは1月2日に日程を移して実施されるようになりました。現在の箱根駅伝は往路・復路合わせて約217.1キロを10区間で走る大学対抗駅伝として知られます。多くの大学が参加し、沿道には数万人の応援が詰めかける一大スポーツイベントです。テレビ中継やラジオ実況が全国に熱戦を伝え、新年の風物詩として定着しています。
1920年
金栗四三
1917年
読売新聞社
1955年