1904年
報知新聞に日本初の新聞写真として川上貞奴の写真が掲載される。
1904年、報知新聞に日本初の新聞写真として女優・川上貞奴の肖像が掲載され、新聞報道の表現が一変しました。
新聞はこれまで文字情報が中心でしたが、報知新聞は技術革新に挑戦。
1904年1月2日付で川上貞奴の写真を掲載し、視覚的な報道手法を導入しました。
新聞写真は読者にリアリティある情報を提供し、記事の魅力を飛躍的に高めました。
他紙も追随して写真掲載を始め、メディア表現の多様化が急速に進展。
この一歩はジャーナリズムと写真技術の歴史における画期的事件です。
1904年
報知新聞
写真
川上貞奴
1930年
第1回朝日学術賞授与式。
1930年、第一回朝日学術賞の授与式が行われ、若手研究者の優れた業績が初めて表彰されました。
朝日学術賞は朝日新聞社が優れた学術研究を奨励するために創設した賞です。
第1回授与式は1930年1月2日に東京で開催されました。
自然科学から人文社会科学まで多岐にわたる研究成果が選考対象とされました。
受賞者は当時の若手研究者で、学術振興と新たな研究への刺激となりました。
この創設は日本における学術研究支援の歴史的転換点と評価されています。
1930年
1937年
イギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の建造開始。1939年に進水。
イギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズの建造が1937年に開始され、1939年に進水した。
1937年1月2日、イングランド北東部の造船所でキング・ジョージ5世級戦艦2番艦プリンス・オブ・ウェールズの建造が始まった。
設計は最新鋭の装甲と大口径砲を備え、第二次世界大戦期のイギリス海軍の主力戦艦として計画された。
1939年6月に進水し、その後は整備と試運転を経て1941年に就役した。
就役後は大西洋や地中海で護衛および戦闘任務に従事した。
1941年12月10日、マレー沖海戦で日本海軍の攻撃を受けて撃沈され、その勇壮な戦歴を終えた。
1937年
イギリス
戦艦
プリンス・オブ・ウェールズ
1939年
1955年
ナイロンザイル事件: 前穂高岳でナイロン製ザイルの切断により登山者が滑落死。麻ザイルよりも強いとメーカーが保証したザイルだったため、ザイル論争に発展。
1955年1月2日、前穂高岳でナイロン製ザイルが切断して登山者が滑落死する事故が発生した。
1955年1月2日、北アルプス前穂高岳の登攀中に、麻ザイルに代わって開発されたナイロン製ザイルが突然切断した。
当時はナイロンザイルの強度と信頼性が保証されており、遭難者は過信して装備を選択していた。
切断により数百メートルを滑落した登山者が死亡し、山岳界に大きな衝撃を与えた。
事故後、ザイルの性能試験や品質管理、使用基準の見直しが進められ、「ザイル論争」と呼ばれる議論が起こった。
この事件を契機に登山用具の安全基準や規格制定、国際規格の導入が促進された。
1955年
ナイロンザイル事件
前穂高岳
1959年
ソ連が世界初の月面ロケット「ルナ1号」を打ち上げ。軌道が逸れて太陽を周回する初の人工惑星となる。
1959年1月2日、ソ連が世界初の月面探査ロケット「ルナ1号」を打ち上げ、人工惑星となった。
1959年1月2日、ソビエト連邦は月への衝突を目的とした探査ロケットルナ1号を発射した。
打ち上げ後、軌道制御の誤差により月面への衝突に失敗し、軌道が逸れたロケット本体は太陽周回軌道に入った。
これによりルナ1号は人類初の人工惑星となり、惑星探査の技術的可能性を示す重要な成果となった。
搭載された電波送信機からの信号は地上局で受信され、深宇宙通信の成功例として評価された。
このミッションは後のルナ計画やアメリカの無人探査機計画にも大きな影響を与えた。
1959年
ソ連
ルナ1号
軌道
太陽
2004年
アメリカの彗星探査機「スターダスト」がヴィルト第2彗星に最接近。彗星の核を撮影し、塵を採取。
2004年1月2日、NASAの彗星探査機スターダストがヴィルト第2彗星に最接近し、貴重な塵サンプルを採取しました。
スターダストは1999年に打ち上げられたNASAの彗星探査ミッションで、2004年1月2日にヴィルト第2彗星に接近しました。
探査機は彗星の核表面を画像撮影し、高速で飛散する微小塵を専用のエアロゲルコレクターで捕捉しました。
収集された塵サンプルは地球に持ち帰られ、太陽系初期の物質成分や形成過程の解明に貴重なデータをもたらしました。
2006年に地球帰還カプセルが着地し、これにより史上初めて彗星塵の直接分析が可能となりました。
この成果は惑星科学や有機物生成の研究に大きな影響を与えました。
2004年
彗星
スターダスト
ヴィルト第2彗星
塵