1880年
パナマ運河建設開始。
パナマ運河の建設工事が正式に開始し、海上交通の大改革が始まりました。
1880年1月1日、パナマ地峡でフランス主導による運河建設工事が正式に始まりました。
当初計画ではニコラ・レセップスが率いるフランス企業が工事を担当しましたが、地質や気候の過酷さに苦戦しました。
資金繰りや技術面での問題が頻発し、多くの労働者が疫病や事故で命を落としました。
最終的にはアメリカ合衆国が事業を引き継ぎ、1914年に完成させる運びとなりました。
パナマ運河の開通は大西洋と太平洋を結ぶ航路を劇的に短縮し、世界貿易に革命的な影響を与えました。
1880年
パナマ運河
1886年
日本初の定期乗車券が発売される。
日本で初めて定期乗車券が鉄道会社から発売され、通勤・通学の利便性が高まりました。
1886年1月1日、鉄道会社が日本初の定期乗車券を発売しました。
これまで都度切符を購入していた利用者は、定期券によって割安で乗車できるようになりました。
定期券は主に学生や勤労者向けに導入され、通勤・通学を効率化しました。
鉄道利用の促進を図る政策の一環であり、近代的な交通システムの発展に寄与しました。
その後、定期券制度は全国に広がり、鉄道経営の安定にも貢献しました。
1886年
1887年
勅令第51号「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」により、東経135度の時刻を日本標準時とすることが定められる。
日本政府が勅令を公布し、東経135度を日本標準時と定めました。
1887年1月1日、勅令第51号により日本標準時が東経135度の子午線に基づく時刻と定められました。
これまで地域ごとに異なっていた時刻を統一し、全国で同一の時間を使用することを目指しました。
標準時の制定は交通・通信網の整備と調和し、鉄道や郵便の正確な運行に寄与しました。
西日本と東日本の時間差を調整し、国内での経済活動や社会生活の効率化を促進しました。
現在も日本標準時(JST)として継承され、国内外の時刻制度に広く認知されています。
1887年
東経
日本標準時
1909年
龍野電気鉄道が網干駅前〜龍野町間で開業。
龍野電気鉄道が網干駅前〜龍野町間で開業し、地域交通が充実しました。
1909年1月1日、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に龍野電気鉄道が開業しました。当初は網干駅前から龍野町までの短距離路線でしたが、地元産業の物流や通勤通学に貢献しました。電気運行の導入により従来の馬車や蒸気機関車に比べて静粛で迅速な輸送が可能となりました。沿線地域の発展と住民生活の利便性向上を後押しし、後の延伸計画や乗客増加へと繋がりました。地域住民にとって新たな移動手段として高い支持を得ました。
1909年
龍野電気鉄道
1914年
セントピーターズバーグ タンパ・エアボート・ライン社が、ベノイストXIVによって世界初の定期航空便運行を開始する。
1914年に世界初の定期航空便がセントピーターズバーグとタンパ間で開始されました。
1914年1月1日、ベノイストXIV航空機を使用し、セントピーターズバーグ(フロリダ州)とタンパを結ぶタンパ・エアボート・ライン社の定期便がスタートしました。これが実用的な定期航空便として史上初の運航であり、定期路線の概念を確立しました。飛行機は水上に着水するフロート装備型で運航し、約23分の短時間飛行で運賃は5ドルでした。この成功が民間航空の発展を促し、後の航空網拡大へ大きな影響を与えました。当時の技術的制約を乗り越えた試みとしても航空史に残る出来事です。
1914年
セントピーターズバーグ - タンパ・エアボート・ライン
英語版
ベノイストXIV
1930年
鉄道省が全線でメートル法実施。
1930年1月1日、鉄道省が全国の鉄道路線でメートル法を導入しました。
1930年1月1日、鉄道省は線路の距離や速度表示などにメートル法を全面的に適用した。
従来のヤード・ポンド制からの全面的な切り替えで、国際基準に合わせた標準化が図られた。
駅の距離標や線路距離表、速度制限標識などがキロメートル単位に改められた。
この施策により鉄道運営の効率化と安全性向上が促進され、計測精度の統一にも寄与した。
以降、日本の鉄道はメートル法を基調とする計測体系で発展を遂げた。
1930年
1938年
フランス国鉄誕生。
1938年1月1日、フランス国営鉄道(SNCF)が発足しました。
1938年1月1日、フランス政府はフランス国鉄(SNCF: Société Nationale des Chemins de fer Français)を設立し、主要鉄道会社を国有化した。
これまで民間複数社が運営していた鉄道網を一元管理することで、運行効率の向上とサービスの統一を図った。
第二次世界大戦を挟みながらも、SNCFは欧州有数の鉄道事業者として発展を続けた。
高速鉄道TGVの開発などを通じて、フランスの交通インフラと経済成長に大きく貢献した。
現在もヨーロッパの国際鉄道網の中心的存在となっている。
1938年
フランス国鉄
1945年
東京に簡易電話所(公衆電話)を新設。
1945年1月1日、東京で新たに簡易電話所(公衆電話)が設置されました。
1945年1月1日、東京市内において市民が利用できる簡易電話所が新設され、公衆電話サービスが開始された。
戦況悪化に伴う通信インフラの確保と市民生活への便宜提供が目的とされた。
小規模な電話設備ながら、通信の民主化と情報アクセスの手段として注目を集めた。
戦後の混乱期においても、公衆電話は連絡手段として重宝され復興の一助となった。
その後の自動式公衆電話機普及へつながる先駆けともいえる出来事である。
1945年
東京
公衆電話
1948年
イギリス国鉄誕生。
1948年1月1日、イギリス国鉄(British Railways)が発足し、国有鉄道として運営を開始しました。
イギリス国鉄は、1947年のTransport Actに基づき、かつての鉄道会社を統合して設立されました。国営化によって全国の鉄道網が一体的に管理され、戦後の復興や輸送力強化を図りました。旅客輸送から貨物輸送まで幅広く手がけ、特色ある列車サービスや車両開発にも注力しました。1970年代以降は財政難や運営効率の問題が顕在化し、1980年代末から1990年代にかけて段階的に民営化されていくことになります。
イギリス国鉄
1950年
モスクワ地下鉄5号線環状線が一部開通。
1950年1月1日、モスクワ地下鉄の環状線(5号線)の一部区間が開通しました。
モスクワ地下鉄は1920年代に建設が始まり、ソ連時代の壮麗な駅設計で知られています。環状線(5号線)は市内中心部を巡る路線として計画され、交通混雑の緩和と各路線の乗り換え利便性向上を目的としました。初期開通区間は数駅を結び、乗客の需要に応じて徐々に延伸されていきました。開通により市内の移動時間が短縮され、住宅地とビジネス街の結びつきが強化されました。現在では全周を走る環状線としてモスクワ市民の主要交通手段となっています。
モスクワ地下鉄
環状線
1991年
午前2:00 (JST) に東京03地域の市内局番が4桁化。
東京03地域の市内局番が3桁から4桁に変更。
1991年1月1日午前2:00(JST)に、東京03地域で従来3桁だった市内局番を4桁に拡大しました。電話番号資源の枯渇に対応し、新規番号の割り当て余裕を確保するための通信インフラ拡張措置です。番号容量の増大は通信網の発展を示す重要なステップとなり、交換機やダイヤルインシステムの改修も実施されました。利用者には案内放送やダイヤルガイドの更新を通じて変更内容が周知されました。
1991年
JST
1999年
午前2:00(JST)に大阪06地域の市内局番が4桁化、携帯電話・PHSの番号11桁化。
大阪06地域の市内局番が4桁化され、携帯電話・PHS番号が11桁化。
1999年1月1日午前2:00(JST)に、大阪06地域で固定電話の市内局番が従来の3桁から4桁に拡大されました。同時に携帯電話およびPHSの番号も9桁から11桁に変更され、番号資源の拡大に対応しました。通信事業者は交換機の改修やシステム更新を行い、利用者にはダイヤルガイドや案内放送で変更内容が周知されました。これにより新規加入需要に応え、携帯電話の普及拡大を支える基盤が整備されました。
1999年
携帯電話
PHS