紀元前4713年
ユリウス通日の起算日時。
ユリウス通日の起算日が紀元前4713年1月1日に設定された日です。
ユリウス通日(Julian day)は天文学や暦の計算で用いられる連続日数の起算点です。
起算日は紀元前4713年1月1日(ユリウス暦)と定められています。
この制度は1583年に天文学者ヨハン・スカリゲルによって導入されました。
基準を統一することで、歴史的記録や天体観測の日時比較が容易になりました。
現在も天文学や気象学などで広く利用されています。
紀元前4713年
ユリウス通日
1700年
ロシアがユリウス暦へと切り替わる。
1700年、ロシア帝国でユリウス暦が正式に採用された日です。
1700年1月1日、ロシア帝国はそれまで用いられていたビザンティン暦からユリウス暦へ切り替えました。
この改暦はピョートル大帝の西欧化政策の一環として実施されました。
新年の開始日を9月1日から1月1日に変更し、欧州諸国と暦を統一しました。
従来の宗教的儀式との調整も行われ、行政手続きが簡略化されました。
この改革によりロシアは国際的な交流や貿易で有利な立場を得ました。
1700年
ロシア
ユリウス暦
1801年
ジュゼッペ・ピアッツィがシチリア島のパレルモ天文台でケレスを発見。史上初の小惑星発見とされる。
1801年、ジュゼッペ・ピアッツィがケレスを発見した日です。
1801年1月1日、シチリア島パレルモ天文台でジュゼッペ・ピアッツィがケレスを発見しました。
ケレスは小惑星帯で最初に発見された天体として知られています。
当時は惑星と考えられ、その後「小惑星」という分類が生まれました。
発見により天文学は新たな段階に入り、天体観測技術の進歩を促しました。
ケレスは現在も地球近傍天体として重要な研究対象となっています。
ジュゼッペ・ピアッツィ
シチリア島
パレルモ
ケレス
小惑星
1914年
セントピーターズバーグ タンパ・エアボート・ライン社が、ベノイストXIVによって世界初の定期航空便運行を開始する。
1914年に世界初の定期航空便がセントピーターズバーグとタンパ間で開始されました。
1914年1月1日、ベノイストXIV航空機を使用し、セントピーターズバーグ(フロリダ州)とタンパを結ぶタンパ・エアボート・ライン社の定期便がスタートしました。これが実用的な定期航空便として史上初の運航であり、定期路線の概念を確立しました。飛行機は水上に着水するフロート装備型で運航し、約23分の短時間飛行で運賃は5ドルでした。この成功が民間航空の発展を促し、後の航空網拡大へ大きな影響を与えました。当時の技術的制約を乗り越えた試みとしても航空史に残る出来事です。
1914年
セントピーターズバーグ - タンパ・エアボート・ライン
英語版
ベノイストXIV
1972年
現行の協定世界時(UTC)の運用を開始。
1972年1月1日、現行の協定世界時(UTC)の運用が正式に開始されました。
従来のグリニッジ標準時(GMT)に代わり、原子時計と天文時を組み合わせた新しい時刻系として導入。
UTCは厳密な周波数基準を持つ原子時計による国際原子時(TAI)を基礎とし、閏秒で天文時とのずれを調整します。
国際度量衡局(BIPM)と国際地球回転・基準系事業(IERS)が調整を担当。
世界各国の標準時や航空・海運、通信システムなどでUTCが基準として用いられています。
公共インフラの時刻統一を支える重要な国際規格です。
1972年
協定世界時
1983年
ARPANETがInternet Protocol(IP)に切り替わり、インターネット形成をはじめる。
ARPANETが通信プロトコルをIPへ切り替え、インターネット形成の礎を築きました。
1983年1月1日、米国防総省のARPANETが従来のNCPからInternet Protocol(IP)への完全切り替えを実施しました。
この移行により、研究機関や大学間のデータ通信が標準化され、異なるネットワーク同士の接続が容易になりました。
IPはパケット通信の効率化と多様なルーティングを可能にし、ネットワークの規模拡大を促進しました。
この日をインターネットの公式誕生日と位置付ける研究者もおり、グローバルネットワークの基盤が整いました。
以後TCP/IPプロトコルが世界中に普及し、現在のWebや電子メールなどのインターネットサービスの発展を支えました。
1983年
ARPANET
Internet Protocol
インターネット
2000年
2000年問題の発生が全世界で注目された。
西暦2000年を迎える際、コンピュータの内部時計が誤作動を起こす可能性がある「2000年問題」が全世界で大きな注目を集めた。
「2000年問題」とは、プログラムで年を下2桁で管理するシステムが2000年になると00と認識し、誤作動やデータ消失の懸念があった。
多くの企業や政府機関がシステム改修やバックアップ対策を実施し、世界中でリスク管理が行われた。
予想されたトラブルは大きな混乱をもたらさなかったものの、その準備と対策の規模は非常に大きく、ITインフラの信頼性向上につながった。
技術コミュニティにおける教訓として、プログラム設計の基本的な注意点やリスクマネジメントの重要性を改めて示した。
また、各国政府は緊急時の対応計画を策定し、国際的な協力体制の必要性も浮き彫りになった。
2000年
2000年問題
2001年
NTTドコモがポケットベルサービス名を「クイックキャスト」に変更し、販売も個人向け販売から法人向け販売へと変更。
NTTドコモが従来のポケットベルサービスを「クイックキャスト」と改称し、販売を個人向けから法人向けへと切り替えた。
1990年代に携帯電話の普及で需要が減少したポケットベル事業を再編成する一環として、2001年1月1日からサービス名称を「クイックキャスト」に変更した。
従来の個人向け販売を終了し、企業向けのメッセージ配信サービスとして機能を特化した。
クイックキャストは同報通信や緊急通知など、業務用途に重点を置いたソリューションを提供した。
この移行によりNTTドコモは法人市場への参入を強化し、通信インフラの多様化を図った。
一方で個人ユーザー向けの代替手段として携帯電話やメールサービスの利用が加速した。
NTTドコモ
ポケットベル