379年

カイサリアのバシレイオス

(330 - 379)

キリスト教の教父・神学者

キリスト教の教父・神学者
4世紀のカイサリア司教で、正統派キリスト教神学の確立に大きく貢献した人物。アリウス派を批判し、教父として敬われる。
330年頃に誕生し、カイサリアの司教として教区を統括した。『聖霊について』など神学書を著し、三位一体論の発展に寄与した。グレゴリオス・ナジアンゼンと共に「カッパドキア教父」と呼ばれる。修道生活の規律を定め、東方正教会の修道制度に影響を与えた。アリウス派の異端と闘い、ニケーア信条の擁護者として知られる。379年に没し、現在も多くの信徒に聖人として崇敬されている。
379年 カイサリアのバシレイオス キリスト教 教父 神学者 330年
874年

ハサン・アスカリー

(846 - 874)

イスラム教シーア派・十二イマーム派第11代イマーム

イスラム教シーア派・十二イマーム派第11代イマーム
9世紀のシーア派第11代イマームで、イスラム教シーア派の教義を伝承した中心人物。
846年に誕生し、アッバース朝下のバグダードで育った。父アリー・アル-ハディの後を継ぎ、第11代イマームとして信徒を導いた。政治的抑圧の中で隠遁生活を送りつつも教義の伝承に努めた。後継者として隠れた第12代イマームの存在を示唆し、マフディ(救世主)観念を強めた。874年に没すると、シーア派イマーム論の発展に大きな影響を残した。彼の教えは現在の十二イマーム派の基礎となっている。
874年 ハサン・アスカリー イスラム教 シーア派 十二イマーム派 イマーム 846年
898年

ウード

(860 - 898)

西フランク王

西フランク王
9世紀末に西フランク王として即位し、ノルマン人の侵入に対抗した君主。
860年頃に生まれ、パリ伯としての功績を重ねた後、888年に王位に就いた。ノルマン人の襲来を防ぐために要塞化を進め、軍事的指導力を発揮した。フランク貴族の中で権威を高め、カール王朝の影響を抑えた。国内の安定を図るとともに教会との協調も重視した。898年に没するまで、統治基盤の強化と防衛体制の整備に尽力した。
898年 ウード 西フランク 860年
1204年

ホーコン3世

(1280 - 1204)

ノルウェー王

ノルウェー王
13世紀初頭のノルウェー王で、史料不足のため詳しい記録が残っていない。
史料不足のため、在位期間や具体的な政策の詳細はほとんど残っていない。わずか数年の間にノルウェー王として君臨したとされる。彼の統治は短命に終わり、1204年に急逝した。死後、多くの記録が散逸し、研究者にとって謎多き君主となっている。当時の王権継承の一例として重要視されることがある。
1204年 ホーコン3世 ノルウェー 1280年
建長6年11月21日

足利義氏

(1189 - 1255)

武将

武将
鎌倉時代の武将で、足利氏の基礎を築いた人物。
1189年に生まれ、鎌倉幕府下で御家人として勢力を伸ばした。足利氏の有力な一族として、東国で拠点を築き武家政治に影響を与えた。建長6年(1255年)に没し、武将としての生涯を閉じた。彼の活躍は後の南北朝時代に室町幕府を開く礎となったとされる。足利氏の繁栄に大きく寄与した人物である。
1255年 建長 11月21日 足利義氏 武将 1189年
1387年

カルロス2世

(1332 - 1387)

ナバラ王

ナバラ王
14世紀のナバラ王で、領土維持に努めた君主。
1332年に生まれ、1361年にナバラ王に即位。シャンパーニュ伯領との結合を背景に国力維持に努めた。治世中は貴族との協調を図り、地方統治を強化した。外交では近隣大国との均衡を意識し、独立性を保った。1387年に没し、その治世は安定的な王国形成に寄与した。
1387年 カルロス2世 ナバラ 1332年
1515年

ルイ12世

(1462 - 1515)

フランス国王

フランス国王
16世紀のフランス王、「良き王ルイ」と称される改革君主。
1462年にオルレアン公として生まれ、1498年にフランス王位を継承した。税制改革や司法制度の整備を推進し、国内統治の近代化に努めた。イタリア戦争に積極的に介入し、ミラノやナポリへの遠征を行った。結婚政策によってブルゴーニュやナバラとの同盟を強化した。1515年に没し、後を担ったフランソワ1世に王国を引き継いだ。
1515年 ルイ12世 フランス国王 1462年
1554年

ペドロ・デ・バルディビア

(1500 - 1554)

コンキスタドール

コンキスタドール
スペインのコンキスタドール、チリ征服と植民地支配を主導した探検家。
1500年頃に生まれ、ペルー征服後にチリへの遠征を開始した。1541年にサンティアゴを建設し、植民地行政の基礎を築いた。現地のマプチェ民族と激しい抗争を繰り返しつつ領土拡大を進めた。一方で都市や教会の建設を奨励し、植民地社会を形成した。1554年に戦闘で負傷し、帰路で没したと伝えられる。
1554年 ペドロ・デ・バルディビア コンキスタドール 1500年
1559年

クリスチャン3世

(1503 - 1559)

デンマーク王

デンマーク王
16世紀のデンマーク王、宗教改革を推進したルター派の支持者。
1503年に生まれ、1534年にデンマーク王に即位した。ルター派の教義を導入し、宗教改革を推進した。カトリック教会の財産を没収し、教会組織を再編した。国家の中央集権化を図り、王権を強化した。1559年に没し、プロテスタント体制の確立に大きな功績を残した。
1559年 クリスチャン3世 デンマーク王 1503年
1560年

ジョアシャン・デュ・ベレー

(1522 - 1560)

詩人

詩人
16世紀フランスの詩人、フランス・ルネサンス詩の発展に寄与。
1522年に生まれ、パリ大学で学んだ後、詩作に没頭した。叙情詩集『オード』で名声を得て、寓意詩やソネットを多く残した。ラテン語詩も手がけ、古典文学への理解を示した。フランス語の豊かな表現を追求し、後世の詩人に影響を与えた。1560年に没し、その詩業は現在も高く評価されている。
1560年 ジョアシャン・デュ・ベレー 詩人 1522年
永禄3年12月16日

穴山信友

戦国武将

戦国武将
甲斐国の戦国武将。穴山氏の当主として武田氏に仕えた。
1506年に甲斐国で生まれ、穴山氏の当主として家督を継承した。 武田信玄に従属しつつ、地域の支配と軍事活動に携わった。 領国経営では年貢の徴収や治安維持に尽力し、地元民からの支持を集めた。 城主として防衛施設の整備を行い、外敵の侵入を防いだ。 永禄3年(1561年)12月16日に没し、その死後も穴山氏は武田氏の重臣として存続した。
1561年 永禄 12月16日 穴山信友 戦国武将 1506年
1617年

ヘンドリック・ホルツィウス

(1558 - 1617)

画家

画家
オランダの画家・版画家で、北方マニエリスムを代表する芸術家。
1558年にオランダで生まれ、当初は画家として活動を始めた。 後に版画技法に秀で、複雑な線描と明暗の対比を巧みに表現した。 神話や宗教的主題を題材とした作品で高い評価を受けた。 ハールレムを拠点に多くの弟子を育て、北方マニエリスムの中心人物となった。 1617年1月1日に没し、その作品は後世の版画家に大きな影響を与え続けている。
1617年 ヘンドリック・ホルツィウス 画家 1558年